グリム農園&田舎暮らし

定年退職後の日々の日記です。

2020年2月12日
から Mat Grimm
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イネ作り2月(2)

本日2月12日は雨である。この雨に備えて稲の本田に緑肥用のからし菜の種を播いた。からし菜用の肥料として鶏糞を散布したが、それを土と攪拌するため、浅くトラクタで耕耘した。谷田No.4とNo.5の一部は十分乾いていなかったので2月8日も残りを耕耘した。そして、種まき器を自作した。プラスチックボトルの蓋に0.4㎜穴を開け、試しに150gの種を播いてみた。少し出すぎるのでテープで穴の数を減らして調整した。これで歩きながら、総計1.4㎏の種を1.2反の広さ(谷田No.4とNo.5の合計)に播いた。

自作種まき器

途中で明渠を設けるべきと気づき、溝付けテーラーで2月10日に乾きの悪いエリアを中心に密に溝をつけた。種は溝には余り落ちていないはずである。種を播いた後に土をかぶせたり、鎮圧することがよいと本に書いてあったが、適当な手段がなかったのでNo.5に対してはレーキ(がんじき)で軽く土の表面を撫でて土をかけた。(2月11日)。No.4に対してはその時間がなく、タネを播いたままである。今日は雨なので、どちらが発芽に良いかは今後の成長次第でわかるかもしれない。

谷田No.5の溝、東に向かって3本設けた。
谷田No.5の西側からNo.4を望む。溝が畦に沿って設けてある。

2020年2月4日
から Mat Grimm
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イネ作り2月(1)

今年(2020年)、初めてイネ作りに挑戦することにした。1反2畝(7畝と5畝)ほどの広さの元水田を選んだ。谷と呼ばれる低地なので水が集まりやすい。これが良いことなのかどうかはわかっていない。できれば有機栽培したいがこだわらない。少なくとも減農薬で作りたい。除草剤を使わないためには草を抑制するために緑肥を田植え前に漉き込む方法をとることにした。緑肥としてはレンゲや菜の花があるが種まき時期が2月頃でも間に合うからし菜にした。まず、からし菜の成長のために鶏糞を稲用の田に散布した。量は1.2畝当たり300㎏(1畝当たり250kg)であるが醗酵鶏糞なので足りないかもしれない。先日(1月31日)に鶏糞を散布した。小さいスコップで脇に下げたバケツに入れた鶏糞を散布する。意外と均等に散布できた。今日(2020年2月4日)は肥料を土に混ぜるため、トラクタで田を浅く耕耘した。まだぬかるんでいるため、乾いている部分(約半分)だけを耕耘した。残りは小旅行の後に行う。手前側はまだぬかるんでおり、トラクタ耕耘はあきらめた。

2020年2月3日
から Mat Grimm
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じゃがいも

作付けは今年で3回目となる。2018年春に初めてメークインと男爵の種芋を2畝ほど植えて6月に収穫したがビギナーズラックというべきか食べきれないほどたくさんとれた。その残りの芋を秋収穫用に植えたが痛んでいたためか収穫は期待はずれで数も大きさも小さく1株1個程度であった。今回は稲作りのために本を数冊読んで、感動した井原 豊氏の方法を試すことにした。その「家庭菜園ビックリ教室」にしたがって、タネ芋を選んで切り、畝を作り、植え付け、施肥した。黒マルチでカバーしている。2月2日に行った。施肥は畝作りの際に過リン酸石灰を1m当たり30g程度を撒いて耕作している。植え付け後は硫安を芋に触れないように1m当たり50g程度を距離を置いて埋め込んでいる。株間は40-50㎝で1畝1筋である。春植えは有機肥料では効きが遅くなるので単肥を使う。黒マルチは雑草を防ぐためと雨による収穫時期の制限をなくすためである。

2020年1月23日
から Mat Grimm
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野焼き

そこは昔、子供の頃、雪が降るとそり滑りで遊んだため池堤防の法面である。その頃はススキやかやが主に生えていたと思うが今回、野焼きに参加して、その植生の変貌に驚いた。そのほとんどが葛で覆われていた。また、樹などなかったのだが、一部に繁殖力の旺盛な野生の樹木が根を四方に伸ばし、拡大の勢いを見せていた。
ため池は水田の水源として、地域の利用者が維持管理してきた。その堤防のほぼ真ん中には水神が祭られ、毎年、豊かな水量が祈願されてきた。子供の頃にはその供物のおすそ分けに預かろうと集まったものである。この堤防の斜面の清掃として毎年、草刈りとその野焼きを行っている。3つの地区グループが輪番で担当する。私は初めて参加した。11月3日の午前7時45分にエンジン草刈り機を持参してまず、全幅約200mにわたる堤防斜面に生い茂る草木を短く刈り取る。20人前後が参加していたが、かなり急な箇所もあるが手分けして約2時間半で終えた。葛が生い茂っており、葛のつるの太いものは固く、刈り払機といえども簡単には切れない。樹はできるだけ、根元で切断した。堤防の高さは10m内外であり、刈った草木を下へと落としていく。11月とはいえ、汗だくになって斜面から滑り落ちないように踏ん張りながらの草刈り作業は体力を消耗する。参加者にはわずかの手当てがでるがむしろ、参加することで久しぶりの再会や情報交換をして地域の交流が図られることの喜びが大きい。3年に1度の輪番であり、次の当番に来られるか懸念される。参加者の高齢化が進んでいる。1月12日に再度、集まり、乾燥した草木の野焼きを行った。やはり9時前に集合し、いっせいに分かれて火をつける。斜面に散在する枯れた草木をがんじきやフォークで集めたり、まとめて燃やす。まだ十分乾燥していないものもあるが燃やせるだけ燃やす。昼前には消防車も来て、後始末として完全に消化する。
ただこれだけの共同体の行事であるが、いくつか考えさせられる点がある。ひとつは今の草刈りのやり方では葛や樹木の拡大に対してはその勢力を抑制できないであろうということである。おもな太いつるや木の根を除去するには時間も道具立ても足りない。来年にはさらに状況は厳しくなると考えられる。もうひとつはこの共有地は地域のシンボルとして公園化できないかということである。もし、この斜面が季節ごとに咲く花で覆われていたら、きれいで快適であろうと思う。そう考えていたら、最近、水神の祠の横に看板があり、美しい水仙の里と表示され、一部に水仙が数m程度、道路に沿って植えられ咲いていることに気づいた。もしかしたら、同様に考えて行動している人がいるのだろう。朝晩、近所を散歩している人を多く見かける。散歩コースとして適しており、もし、季節の花や景観が楽しめればさぞ快適だろうと考えている。

水神様の堤防:野焼き跡

2019年12月22日
から Mat Grimm
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水田の均平とトラクタ

もう十年近く稲を作っていない田を何とか、元通りにしたいと考えている。田は何もしないと雑草が生い茂るのでトラクタで雑草を土中に漉き込んでいる。しかし、トラクタの使用方法がまずく、田の平坦性が崩れ境界に向かって土が盛り上がってしまっている。これでは水田にすると水深の差で稲が均一にうまく成長できない。だから、田の均平が要となっている。最新のトラクタでは凹凸のある田であっても耕深の自動制御機構が進化し、耕す深さをかなり一定にできる。一方、持っているトラクタは古いため、耕深制御は機械式で手動であるため、凹凸のある所を耕すと登り方向では耕運の深さが深くなり、下り方向では浅くなってしまう。 タイヤと耕運点は1m程度離れているので、 平坦であれば、問題ないが凹凸があれば、ちぐはぐになる。また回転刃で掘った土はリアカバーの内側に溜り、カバーの開閉度に応じて一定の高さに掃き出される。しかし、これが凹凸のあるところを耕すと上り坂では土が深く掘られ、その土が頂上付近まで運ばれ、逆に下りでは土が浅く取られ、ほとんど谷には運ばれないので山と谷が増幅されることになる。この解決方法が見つからず、我が田は凹凸の激しい、波打つような均平度になっていた。今回、耕深調整に初めて尾輪を使ってみた。尾輪の丈で地面に対する刃の高さの位置を決めることになるので、登りでも下りでも地面に対して同じ深さで耕すはずである。結果として、凹凸が増幅されることはほとんどなかった。ただ今回は粗起こしなのでリアカバーは大きく開放しており、耕耘した土はその場で後方に掃き出されるだけで土を運ぶ効果は薄い。これが凹凸軽減に寄与した可能性もある。しかし、トラクタによって田の均平はそもそも限界があると考えている。そこでスコップで凸部の土を凹部に移すことをやった。特に田の四隅の部分はトラクタの耕耘の方向反転部分となり、どうしても盛りあがってしまう。六枚の田の四隅をすべて掘り下げて均平化してからトラクタで耕耘した。結果としてはスコップによる均平化がそのまま反映されたものとなった。トラクタの使い方については本で学習し、工夫して、一筆書きの耕耘コースで田の耕耘残しなく、耕耘できるように工夫した。すなわち、あらかじめ、トラクタの耕耘幅と田の幅寸法を測定し、コース取りを行い、田の縁を最後に3回、周回して終わりとなるようにした。これにより、往復反転するときの耕耘跡が周回耕耘でリセットされ、均一化されている。田はかならずしも直角四辺形ではなく、いびつで五角形もあるが、三周の周回でリセットできるように往復コースの重なりを調整し、かつ方向反転すれば同じ様に一筆書きコースで耕耘できることがわかる。2019年の大きな進歩である。

2019年11月25日
から Mat Grimm
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果樹と畑

住んでいる家から約500m程度離れた南の山手に畑を所有している。広さは200坪以上はあったかと思うが、この畑を分断するように道路の建設計画が進み、我が家の畑は2つに分かれて縮小した。その一方を売ってほしいという企業があって、とうとう売ってしまったが、今となっては高台にあり、日当たりよく斜面で水はけもよいことから、果樹に適した土地であり、手放したのは惜しいと思う。もう一つは横断した道路とほぼ同じ高さであり、アクセスは便利だが、高台の西側に位置し、日当たりも水はけも限定的である。この畑の利用方法を探っているが、道路沿いであるが、車が多く高速で走るので騒音はかなり大きく、ゆっくりと山小屋でも建ててくつろぐという環境にはない。長らく放置していたので、雑草や雑木も生えており、その根絶に苦労している。今年はさつまいも、ピーナッツ、綿などを5月連休に植えたが6月末に引っ越してきたときには雑草に埋もれてほとんど成長していなかった。草刈りをやったが、2-3週間経つと元に戻るほどの勢いに負け、野菜は結局、例年の収穫には程遠かった。来年はここでの野菜作りを期待できない。過去にオリーブを植えたがほとんど世話をできなかったので、草に負けて、成長せず結局草刈りのときに草といっしょに刈り飛ばしてしまった。今回は引っ越しているのでもう少し、世話できるので、果樹を育てようと思う。まず、柿の苗木を2本、植えた。甘秋(カンシュウ)という早生の甘柿であるが受粉のためには別品種を植えるとよいらしく、受粉樹として、禅寺丸という柿をセットで植えた。深さ50㎝、直径40㎝の植穴を掘り、堆肥、腐葉土の上に苗木を置いて、その周りを山土で土寄せした。この畑は切土をしたらしく、表面が花崗土で覆われていた。深さ50㎝まで掘ると粘土層に達し、粘土層にも植物の根が張っている。皆無ではない。柿の実を食べられるようになるには何年かかるかわからないが、楽しみである。他にも果樹をいろいろ植えたいと考えている。

南側(左手)が甘秋、北側(右手)が禅寺丸の柿苗木

2019年11月25日
から Mat Grimm
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第1回十河戦国お城祭り

私の住んでいる村(外山自治会)の隣は城自治会というがその高台に城跡があり、十河城という城があった。しかし、今そこには称念寺というお寺しかない。子供の頃から称念寺への参道は急こう配の登り道でその通りはなにか華やかだった記憶がある。この称念寺を起点として、約1kmの先の鰹宇神社まで戦国時代の甲冑を身に着けた武将が集まり、練り歩くというイベントが11月24日に開催された。主催は当該実行委員会だが、共催には十河校区連合自治会とある。要するに地元である十河地区の広域自治会がサポートしている。
どんなことをするのか興味があって、開始時刻9時の15分前に自転車で見物に出かけた。身なりから判断して近隣の人が中心だが、十河地区の外からも報道関係だけでなく、戦国マニアらしい人も多く集まっている。4-6本の旗印のもとに各地域の武将グループが戦国時代の合戦の隊列を模して称念寺の正門前に集合している。全部で40-50人程度で坂出市や徳島市、三木町など遠くからも参加しており、かなり大がかりなイベントであった。甲冑作りのつながりもあるようだが、実行委員長の挨拶で実行に至った経緯が説明されたが、信長の頃に十河城で実際にあった戦闘や十河氏にまつわる史実に沿った戦国武将が参加している。実行委員長は十河氏の末裔で十河城の三の丸跡に十河氏のお墓と歴史資料館、カフェを運営している。ちょうど、このイベントの1週間前にカフェを訪問してそのテラスからコーヒーを飲みながら展望を楽しんだところであった。鰹宇神社では境内に舞台が設置され、戦国時代の十河城での大軍を前にして籠城を覚悟する軍議の寸劇や明日をも知れぬ運命の前夜は皆で呑み踊ったことがその後の阿波踊りに発展したとの説明とともに阿波踊りや地元の獅子舞が催された。自治会の協力もあり、ポップコーン、ケーキ、フライドポテト、フライドチキンが自治会の奥様お手製で安く屋台形式で販売され、地元農家のとれたて野菜の袋販売も人気を集めていた。

来年はさらに発展することを実行委員長や協賛の招待者は期待していたが、実行側の負担も大きく、続けるにはなにか強力なインセンティブが必要であろう。私のような一般の見物人には楽しい時間を過ごせてうれしいが、遠くから参加したり、地元の協力を見返りなく仰ぐことは単なるボランティアではむつかしいかと思う。課題であろう。観光事業とするか、歴史遺産とするかなにか工夫が必要であろう。

2019年11月5日
から Mat Grimm
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レンガ花壇の作成

家内の希望で作業のし易い高い花壇をレンガで作る。レンガはネットで調べて レンガの製造業者 を訪問して1個80円で調達できた。アンティーク風のレンガはオレンジ色の標準的なレンガに比べて値は高くなるが、現物限りのアウトレット品ということで2色をそれぞれ150個程度購入できた。軽トラックで2回に分けて運んだ。1個が2㎏超なので150個で最大積載重量を超えてしまう。八段積みにする予定なので基礎を安定させるため、地面を5㎝程度掘り、砕石をレンガのレイアウトに沿って埋めた。木槌で叩いてその上に水糸を張り、水平になるように砕石を加減する。
本日(11月5日)は午後半日を掛けてレンガ敷きを1段のみ行った。基礎は砕石を敷いて木づちで叩いてからレンガを置いたが水平が出し難い。少し砂を入れて水平になるように調整した。ここまでは前回、やっていたので、今日はモルタルを作ることから始め、砕石・砂の上にモルタルをレンガの淵に載せ、レンガを置いてから上から圧力を加えた。レンガが一直線に並ぶように注意しながら位置調整をした。水糸を張り、目視で直線性を確認した。やはり、水糸は便利である。レンガとレンガの隙間には今ほとんどモルタルが入っていない。最初の位置だしにはモルタルの厚みを考慮していないため、位置をずらさないように置いた。八段にレンガを積む予定であるが、このままとするか、やや広がっても間にモルタルを入れることにするか悩むところである。
完成した花壇2019.11.17撮影
結局、レンガは6段積みとした。それで十分な高さが感じられたからである。それ以上高いと何か花壇以外の用途の印象を与える。レンガ積みにあたり、一番下の層に注意を注いだが、2段目以降は継ぎ目が同じ位置にならないように長さ方向に半分だけずらして積み上げたので平坦性が保たれた。しかし、縦の目地はモルタル量が多いと幅が広がり、少ないとそれなりに狭くなるため、各段でちぐはぐとなってしまった。よく見るとそれがわかる。
花壇の土は田の土と花崗土を半分づつ混ぜ、それに堆肥を加えて作った。土はふるいで細粒のみを選別し、使った。これでずいぶん、土の外観はよくなった。
花壇にはチューリップ、シベリアンリリー、アネモネ、ムスカリといった球根とルピナスの種を播き、春にそれぞれ時期を違えて咲くように選んだ。そして秋冬の間はガーデンシクラメン、パンジー、しろたえぎく、ノースポールを楽しめるように苗を植えた。
まだ、レンガが残っているので、丸い花壇にでも挑戦しようかと家内と話している。

2019年10月27日
から Mat Grimm
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タイヤ・チューブ交換

10年以上使っていない古い耕運機があるが、タイヤがつぶれて使えないので交換する。近くの農機具ディーラーに見積もってもらうと持ち込みで交換費用は1本5000円である。タイヤのサイズは4.0-9と表示されており、ネットで1本5,6千円ぐらいである。ユーチューブでタイヤ交換の様子を確認したが、リムへの脱着が大変のようだ。簡単に外れるようでは用途からして困るので、タイヤの中央の穴径よりもリムの径は大きい。無理して脱着するので、タイヤの穴を一時的に拡げるための工具が要る。リムとの摩擦を低下させる潤滑クリームも塗るようだ。タイヤの固定のための治具もあるようだが、せいぜい2本のタイヤ交換なので、固定治具は購入しない。耕運機を使って高い畝を作りたい。自分でタイヤ交換を行うことにする。
ジャッキアップした耕運機
2本のタイヤ交換は2日を要した。要領がわからず、タイヤ―レバー3本を使って力の限りを尽くしてタイヤの内側にリムを入れることができたが、今だにどうすればできるかはなはだ自信がない。タイヤの内径の淵にはビードワイヤという鋼線が入っており、ある程度以上は広がらないようになっている。繰り返し、リムにレバーを使って無理やり入れようとしたので、2本のタイヤともこのビードワイヤが切れてしまった。通常はビードワイヤが切れないようにリムを収めることができるので私のやり方はどこか間違っている。後から、考えるにタイヤをリム内に入れようとしたとき、タイヤとリムは平行ではなく、すこし角度をもって接している。だから、タイヤの作業面を広げてリムに入れようとすると作業面の裏側ではリムとタイヤが並行をなすようにタイヤが滑る必要がある。潤滑クリームは実はこのためにあるのではと気が付いた。作業面の滑りのためにクリームを塗っていたが、作業面はレバーで無理やり広げて押し込むので必要ない。むしろ、その動きに合わせて、裏面が滑らないとリム内に収まらないのである。ここがポイントではないかと考えている。しかし、もっと若い人であれば力があるので、もっと早くタイヤ交換をできたかもしれない。次回はもう体力的にタイヤ交換はできないかもしれない。ここで費用をおさらいしておくとタイヤ交換外注の場合、タイヤ料金1本1.2万円と交換費用5千円/本で計3.4万円。自前ではタイヤ1本7200円、タイヤレバー3本4200円、潤滑クリーム800円で1.9万円位となり、1万円ほどの節約か。自前の場合のメリットとしては耕運機をよく知る機会を得た。これを契機に耕運機を溝付けだけでなく、溝付け用の揺動治具を取り外し、尾輪を購入して、付け替えて耕耘用としても使えるようにした。

2019年10月24日
から Mat Grimm
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獅子という伝統芸能

郷土にこれほどの誇れる伝統文化があるとは気が付かなかった。どこにでもある祭りの簡単な出し物と考えていたが、今年は郷里に引っ越してどっぷりと獅子の一連の行事に参加してその奥深さに感嘆している。よくぞ、今日までこの文化が延々と継がれてきて、今その体験ができることに感謝したい気でいっぱいである。
 獅子は地域の神社を頂点として、その傘下の地域の人々が農産物の豊穣を祈念して神さまを迎え、歓待し、送る例祭の芸能として位置づけられている。今年は10月5日が宵祭り、6日が本祭りであった。我が自治体は戸数では30戸余りであり、隣の自治体と一緒に居住地区の神社である鰹宇神社を構成する9つのブロックの一つを担っており、年に一度の例祭を行うがその出し物として、獅子舞を奉納している。鰹宇神社には8つの獅子舞グループがあり、それぞれが伝統の獅子舞を祭り当日に神社で鐘太鼓で曲を演奏し、それに合わせて獅子舞を奉納する。我が自治体の獅子舞は1曲で12分前後であり、獅子が呼び出され、さまざまのテンポと所作で動物のように踊る。そして、8つの獅子が祭りでは競ってその踊りを奉納するので神社は真に賑やかで近隣の人々はその踊りや屋台の店を楽しみに集まってくる。この獅子舞は高度成長期には中断されたときもあり、存続が今も危ぶまれている。支える地域に住む若い人が都会に出て支える人が減り、芸能として維持していくことがむつかしくなってきている。

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