グリム農園&田舎暮らし

定年退職後の日々の日記です。

井手ざらえ

| 0件のコメント

「いでざらえ」とは用水路の清掃のことである。毎年、6月の第一週の日曜に行う地域の恒例行事である。私の住む四国の讃岐地方では田植えは遅く、6月中旬頃である。その前にため池から田んぼに至る用水路を清掃する。清掃といっても、流れがスムースに行くように水路の淀みに自生する草を除去したり、淀みに堆積した土砂の浚渫であったり、用水路の管理道の草刈りをしたりするのだが、用水路は農業者だけでなく、生活排水や浄化槽の排水路としても利用されており、地域に住む人で利用している人すべてが参加して行われる一大イベントである。
 今年は6月3日朝8時に用水路の起点である池の堤防に集合して、池に接続されている三本の用水路にそれぞれの利用者が分かれて下流に向かって、泥上げをしながら、下っていく。各水路の長さは2-3㎞で参加者は160人程度であり、年に一度の地域の老若男女が集まる機会でもある。早めにきて始まるまで世間話に花を咲かせる。私は高校を卒業して以来、48年ぶりにUターンした住民であり、同世代の参加者に知人を見つけると嬉しくなる。若いころの記憶にある顔から、現在の顔を想像できない人も多い。近所に住んでいても会う機会は少ないので、こういう機会は貴重である。
 私は千葉に約40年間住んでいたが、地域の活動はほとんどしていない。自宅をもって自治会の役員が10年に一度くらい回ってくるが自治会はいわゆる住宅エリア内だけの活動である。住宅は不動産会社が開発販売した200軒くらいのエリアでほぼ同年代のサラリーマンが入居している。エリア外の地域住民との付き合いは少ない。この自治会でもエリア内の排水路の清掃が年に一度あり、水路の堆積物を掬うが、ほとんど雨で流されており、自分の責任範囲には清掃らしい負荷はなかった。昔から住んでいる人は地域に地元神社の祭りがあり、もしかしたら、水利組合などもあったかもしれない。当時は住む地域の自然や生活環境がどのように維持保全されているかなどには関心がなかった。
 Uターンして子供時代を親と過ごした田舎に生活するようになって、地域を維持するためのいろいろな役回りが巡ってきた。それは地域を知る機会であり、地域の人との交流である。サラリーマン時代には最小限の地域貢献しかしてこなかったし、する必要もなかったが、いわゆる田舎ではそれでは済まされない。自治会だけでなく、地域の神社の維持保全、水利組合活動などはなかでも必須である。お寺などの活動は現在のところ、余りしていない。しかし、それらを通して地域を知り、その活動に関わることで地域の課題にぶつかりながら、次世代につなげていくために、親の世代もやってきた。今は私たちの番である。同世代の少なからずは昔、机を並べて学んだり、野山でいっしょに遊んだ仲間である。リタイア後には暇になると思っていたが、予想外に忙しい毎日である。体力も頭も遣わなければならない。しかし、どこか子供時代のような屈託のない心地よい負荷である。

Follow me!

コメントを残す

必須欄は * がついています


PAGE TOP