グリム農園&田舎暮らし

定年退職後の日々の日記です。

鰹宇神社例大祭と陶屋制度

2024年9月22日 から Mat Grimm | 0件のコメント

 

今日も朝から集会場に集まり、天候を伺いながら地元神社の例大祭の準備を進めていく。現在、16の集落が陶屋株を持ち、順番に年一度の例大祭の運営を受け持つ。私の集落が当番となったのは18年前の平成18年以来で私は5年前にUターンしてきたので、初めての経験である。5月頃に神社の宮司と陶屋側が打ち合わせを持ち、陶屋が準備する物や行事内容の説明を受けた。神社としては毎年のことなので慣れているが、陶屋側は十数年ぶりなので、経験者はいてもほとんどは忘れているか、初めてである。例大祭は「口明け」、「宵祭り」、「本祭り」の3つで構成され、簡単に言えば、「口明け」で神様を陶屋の陶席宅に迎え、拝礼して、1週間滞在の後、「宵祭り」として、神様に神社本殿に戻っていただく。そして「本祭り」で神様を神輿に載せ、慰め、本殿から御旅所まで練り歩いて皆で神様を本殿から外の世界を見ていただき、御旅所で一旦、休憩してもらい、氏子の祈願を受ける。そして、再び、本殿に戻って、祭りは終了するという行事である。
今日は「口明け」の1週間前の休日で全員で神社の注連縄の交換を行う予定であったが、生憎の天候で紙垂という半紙の飾りが雨で傷むので大半の屋外設置の注連縄の交換を予備日の明日に延期し、まず、神社の様々な場所に飾る榊や串に用いられる竹細工を行った。竹は知り合いの竹林から先日、切り出した竹を使用する。1時間ほどで40本前後の竹を節の研磨、切断、穴あけを行った。集まった11人で集落の集会場で行った。その後神社に行き、雨の影響の少ない本殿前と本殿内の注連縄を交換した。注連縄と言っても大きなものは長さが3,4mほどあり、重量も2人では持て余すほど大きく重い。支柱として太い竹に結びつけてあり、注連縄の交換は注連縄を支える人、縄で梁に結びつける人と少し離れた箇所から注連縄の水平度を見て指示する人の共同作業となる。しめ縄は梁に固定されるので、高所作業となる。少なくとも2人、できれば3人が同じ高さで高所作業ができる足場が必要で複数の脚立か、2つの脚立に板を渡して、その板に乗り、作業をする。働き盛りの若手経験者が中に居て、高所で重量物の作業を担ってくれ、要領よく進んだ。
神社の例大祭の陶屋制度の維持が氏子の減少、言い換えると農家の減少・高齢化で難しくなっているが、今回の経験を通して実は人のつながりを強化するシステムであることに得心した。獅子舞も同じシステムの一部である。私自身もUターン組であるが、集落に長年ずっと住み続けている人の他に、その縁戚関係者や祭りの好きな人が集まり、共同作業を通じて交流できるという利点のあることを実感している。十数年間の間に住民の娘や息子が集落の外へ出ていくことが多いが、その娘や息子が獅子舞や神社の祭りを子供時代に経験してその楽しさを記憶しており、彼らの子供達を連れて参加してくれるのである。私も普段、付き合うことのないさまざまの職種、年齢、性別を超えた人と交流できることに驚いている。例大祭の陶屋制度は集落を基点とする様々な人の共同作業で挙行できるものであり、逆に普段はばらばらに散らばって生活している人を結びつける制度ではないかと思う。

 

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センダンの伐採

2024年2月24日 から Mat Grimm | 0件のコメント

この一、二週間、雑木の伐採を巡っていろいろと頭を絞っている。放置していた私有地に生えた雑木が大木化してその枝を県道のうえに伸ばしており、除去しないと台風など強風で通行する車や人に落下して大きな事故につながる。実はこの土地の地主であることを認識していなかったので、この大木が道路上に枝を伸ばしていても、他人事のように見ていたが、ひょんなことから相続した土地であることを知った。20年くらい前に畑を分断するように新しい県道ができたが、その時に分断された土地の片方であったのである。私が子供のときの記憶にある小高い丘のような畑はその基盤整備で風景がすっかり変わってしまい、地理的感覚が全く働かなかった。相続してから10年くらい経つが、全く手を付けていなかったので、完全に原野化してシュロやセンダン、名前も知らない雑木が生えて成長し、密生している。
まずは周囲の低木を除去することから始めた。恐らくモチノキではないかと思うが小さな赤い実をつけた常緑樹がセンダンの大木の周囲を埋めている。この木の枝が光を求めて近くの木の枝を縫うように伸びており、単に太い幹を切断して引き抜こうとしても枝が絡んで取り出せない。絡む枝を切り離しながら、最後に主幹を切断する。これらを畑の脇に積み上げていたら、トラック1台では済まない容積となった。乾燥後に焼却するつもりだが、次の冬になりそうである。晴れた日は毎日、2-3時間を費やして生木の伐採とその整理をやって、1週間でほぼ終わった。次に目立つのがシュロの木で7,8本伸びている。シュロも勝手に生えるらしい。シュロはほぼ真っすぐ上に延びるので道路の通行には支障ないが、倒れるとやっかいなので除去しておくことにした。義理の弟に手伝ってもらい、ロープをシュロの高い位置に縛りつけ、一人が幹を切断し、一人が倒したい方向に引っ張り、道路上に倒れないように誘導する。シュロの幹は繊維状の網で覆われているので、そのままではノコギリの刃に絡んでうまく曳けない。鉈で網を除去し、つるつるの幹を露出させてから、ノコギリで切断する。ほぼ、自力でできる限りの伐採はおこなったが、道路側に枝を伸ばしている3本のセンダンの木と1本のシュロの木はプロに任せることにした。道路に近くて倒しても道路に転がってしまいそうであり、県道なのでひっきりなしにトラックや乗用車が猛スピードで通り過ぎている。
当初は大木の邪魔な枝を掃う事だけを考えていたが、最も太いセンダンの木の幹回りは両手でも届かないくらい太く、枝を掃っても木の成長は止められそうもない。いつの間にかまた、枝が伸びてその伐採に悩むことになることが明らかである。また、通行制限しないと問題の木の伐採は無理と判断した。
知り合いに相談して、通航制限の手続きを伺った。県の土木事務所に行き、通航制限の申請書とその説明を聞いた。手続きは申請書に通行制限する路線と期間、片側通行か通行止めか、責任者と連絡先を記入し、保安図(標識、工事予告看板、交通整理の配置図等)と道路使用許可証のコピーをつけて申請するという。道路使用許可証は警察署で申請してもらう。警察署にも行き、手続きを聞いたが道路の使用配置図が必要で看板や交通整理の人やコーンの配置を示したものである。そして、1件当り¥2300の県証紙を貼って申請する。これらを自らやれないことはないが、ここにエネルギーを集中するのは自分の本意ではない。
知人にプロの伐採業者を相談すると某森林組合を紹介された。早速、訪問して見積もってもらうことにした。するとやはり、高所作業車を道路に止めて、枝を切り詰めてから伐採をするらしい。高さ15mまで作業台が伸びるらしい。
色々調べて到達した結論は業者に丸投げということになったが、現地を何度も歩き、低木を伐採して徐々に空間ができて見通しが良くなると大木の伐採が自分の力では及ばない作業であることを確信できた。当初のもやもやは解消されて今は整理されている。何事も向き合ってできることを進めていくとやがてはっきりと道が見えてくるものだなあと思っている。それとも、単に年を取って、リスクをとらなくなっただけかもしれないが。

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お火焚きに初参加

2024年1月15日 から Mat Grimm | 0件のコメント

地元の鰹宇神社のお火焚きがあることを年間行事カレンダーを見て知っていたが、昨日偶然にそれが今日であることに気づいた。鰹宇神社は車で5分の距離であるので、少雨ではあるが、行ってみる。正月のしめ縄飾りがひとつあるので、それを処分するためにも行く理由がある。果たして、神社に近づくと参道に車が駐車してあり、遠くからでも境内から煙が立ち昇るのが見え、お火焚きが確認できる。そこではいつもの神主さんを中心に大きな焚火を囲んで、世間話をしているようである。しめ縄飾りをそこへ投げ込み、燃やす。焚火からの熱線で離れていても熱いくらいである。お火焚きの当番は西吉田という集落で、朝8時からとなっていたが私が到着した8時半過ぎには、焚火の木はかなり燃えてしまっていた。少雨であったが、次々と参拝者が車で到着しており、意外と根強い人気があるのだなあと感心した。そして、帰ろうとすると神主さんが手で指し示す方では焼きもちの振る舞いがあり、近づくとご婦人方が焼きもちと焼きみかんを作っている。焼きみかんは食べたことがないので、一部、黒く焦げたミカンをもらった。熱くて皮をむくのも大変なので、ポケットに入れて、本殿に参拝することにした。先客がいて実に丁寧に祈りを捧げていた。今日は月曜なので、勤め人はとても参加できないであろう。そこで年配者が集まることになる。神社の静かな時間と森に囲まれた空間にいると不思議と心が落ち着いてくる。養老先生がテレビ番組で言っていたが、教会とか、神社やお寺などは目的があっていくというよりも、用もなく行って時間を過ごすという場所で、宗教とはそういう身体的なものだそうで、なるほど我々シニアにとってはとても心地良いものであると納得する。お火焚きは初めての参加であったが、来年も行こうと思う。

新年のご挨拶

2024年1月1日 から Mat Grimm | 0件のコメント

古希を過ぎて、年賀はがきによる挨拶を辞める人が増えています。私は今回、いつものように準備しましたがどうしたものかと考えています。そこで電子的にご挨拶を試みようと思います。メールで送付するのがいいかもしれませんが、一般的なご挨拶はここに掲載することにします。
2024NYCard

2023年も残り数時間となりました。本当に一年が早く過ぎていくのを感じます。2023年はどういう年でしたか。私にとって、農業はリタイア後の新たな活動のフィールドでこれまで新製品開発でやっていたことを今度は土を相手に植物の生育・収穫(製品開発)を目指すということで、知恵を絞って問題解決を図るという意味では同じとも言えます。もちろん、会社員時代では企業間競争も激しいのですが、組織がブランドを持ち、販売力があり、組織の一員であるということで、ありがたいことに生活するうえで十分なお給料をいただいておりました。ところが、一人で野菜を作ってみて、売ろうとしてもノウハウもなく、野菜の差別化やブランド力もないし、個人の農業で食べていくことの難しさを改めて実感しております。しかし、一方で小農(家族規模の農業)は工夫次第でいろいろ展開ができ、面白いと思います。例えば買い物不便エリアへの車での野菜販売など。SDGsという目標の達成には重要な要素ではないかと考えています。企業は最大利益を追求するという宿命があります。これと地球温暖化をはじめとする地球規模での環境維持という制約がすべての企業に課されることになります。将来的には企業活動の地球環境に与える影響のアセスメント無しには活動が許されなくなるのではと思います。小農はうまくやれば生物多様性や自然を損なわないで食料生産ができ、地産地消の地元需要に応えることができます。環境維持に沿った活動と言えます。

一夜明けて、新年を迎え今年も地元の神社に初詣してきました。昨年は見逃した獅子舞を今年は見ることができました。獅子舞は香川県ではどの地域にも根付いている郷土芸能です。私が属している神社にも8つの獅子舞のグループがあり、秋祭りにはその全てがそれぞれ独自の獅子舞を披露・奉納します。お正月に奉納するのはこの獅子舞を維持・発展させようという有志の集まりである「十獅会」の行う獅子舞です。それぞれのグループの獅子舞を取り入れて一つに融合させた獅子舞です。地元の小学生にも獅子舞の楽しさを教えており、年々若い人達の参加が増えているようにも思います。

 

獅子舞に参加する

2023年10月6日 から Mat Grimm | 0件のコメント

2019年の5月にUターンして10月に地元の鰹宇神社の祭りに参加したのだが、その時は”外山・円土座獅子連”の一員ではあってもただ一緒に行動するだけであった。しかし、新型コロナウイルスの感染禍の為に3年間、祭りは規模縮小、獅子舞は中止となり、祭りに本格参加する学習の機会は失われた。新型コロナも変遷を遂げ、一般の風邪並みの扱いとなるに及んで、2023年に4年ぶりに通常の規模で鰹宇神社の例大祭が行われることになった。
4年ぶりということもあり、さぞや皆は張り切って参加するだろうと予想していたが、獅子舞準備の最初の集会で常連の使い手が5名ほど喪中のために参加できず、定年退職して戻ってきた経験の浅い育成組のシニア3人が獅子舞の音曲を担当せざるを得ない状況であることを知らされた。そして9月2日から週2回の獅子の練習が始まった。祭りは9月24日に「口明け」、9月30日に「宵祭り」、10月1日「本祭り」という慌ただしいスケジュールである。私はほとんど鉦も太鼓も観客の興味半分でしか叩いたことがなかったが、3週間弱で本番となる。それでも自分に番は回ってこないだろうと思っていた。
獅子舞は鉦2と太鼓2の音曲と2人が油単の中に入って獅子となって踊る6人構成となっている。獅子の使い手は体力を要するため、若い人が交代しながら、約10分の舞を曲に合わせて踊る。通常は獅子使い手だけでも6~10人くらいが交替で使う。鉦と太鼓は1曲持ち切りでもそれぞれ2人、最低でも4人が必要である。普通は場所を変えながら何曲も演舞するので、交替要員2人を加えて最低でも6人は欲しい。全体で12人位の人数となるが、後ほどの獅子舞のスケジュール調整では9人という時間もあり、全く苦しい状況であった。過去には若手が郷里を離れ、少子化もあり、何度も少人数で挙行せざるを得ないこともあったそうである。
現在、十河地域(約3700世帯、53自治会)の本神社である鰹宇神社で獅子舞を奉納する権利をもっているグループは8つの獅子連である。しかし、諸事情により、年々減りつつある。外山・円土座獅子連は26世帯の外山自治会と数名の旧円土座自治会から成るグループである。私が子供の頃には獅子の鉦や太鼓の音が遠くから聞こえてきて、祭りが近いことを知り、鰹宇神社の秋祭りに連れだって露店で買い食いしたり、おもちゃで遊んだりした楽しい記憶があるが、獅子舞は見たかもしれないがその機会はすくなかったように思う。
獅子舞は獅子連によってその曲も踊りも異なる。我が獅子連では「牡丹くずし」という分類に入るらしいが、次のような踊りを行う。獅子という動物が呼び出しで登場し、首や耳、口を動かせて身体の手入れをしたり、動物の所作を披露する。そして、やがて身体を左右に揺らしながら、正面に向かって前進していく、前面に到達すると頭を下げ、尻を高くして激しく首を上下左右、前後に振って威嚇するような動作をする。その時、鉦と太鼓が動きに合っているといわゆる「見え」がきまる。これが舞の最高潮部であり、「猩々の舞」というらしい。10分間の間に獅子は前面で踊ったり、後ろに下がって眠ったり、ループを描いて回ったりして数回、前面に出て威嚇動作をする。この一連の動きはいくつかのパターンを組み合わせてテンポを変えたりするのでこれを覚えるのは容易ではない。踊りの順番は変わらず同じなのであるが、それぞれの舞から次の動作に移るのは太鼓の合図である。鉦は太鼓や獅子を見ながら、次のタイミングを測る。太鼓は獅子を見ながら次の踊りの合図を出す。獅子は鉦の音に合わせて獅子の頭を振ったり、油単を動かす。太鼓をたたく人が全体の指揮を執る。早く終えるときは舞を進めるように合図を早く出すことで短くできるし、丁寧に時間を掛けたいときはゆっくりとしたテンポで行う。8分~16分くらいに自在に調節できる。
私はまだまだ、未熟で曲が身体に沁みついていない。時々間違えるし、今がどのシーンかを見失って迷ったりする。その時は鉦が止まるので、獅子舞の勢いを削いでしまう。
ボケ防止にと思い、必死で覚えるが次の日には忘れている。この繰り返しである。しかし、獅子連の活動を通して思うことは地元の祭りの持つ不思議な活性化作用である。そして、獅子舞を通じて自治会の人たちや地域の人とのつながりができてくる。江戸や明治の時代から続いているという獅子舞にはその理由がある。耳がおかしくなるほどの音であるが、心地よい響きがあり、気持ちが明るく高ぶってくる。また、来年もやりたいと思う。

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