私の住んでいる村(外山自治会)の隣は城自治会というがその高台に城跡があり、十河城という城があった。しかし、今そこには称念寺というお寺しかない。子供の頃から称念寺への参道は急こう配の登り道でその通りはなにか華やかだった記憶がある。この称念寺を起点として、約1kmの先の鰹宇神社まで戦国時代の甲冑を身に着けた武将が集まり、練り歩くというイベントが11月24日に開催された。主催は当該実行委員会だが、共催には十河校区連合自治会とある。要するに地元である十河地区の広域自治会がサポートしている。
どんなことをするのか興味があって、開始時刻9時の15分前に自転車で見物に出かけた。身なりから判断して近隣の人が中心だが、十河地区の外からも報道関係だけでなく、戦国マニアらしい人も多く集まっている。4-6本の旗印のもとに各地域の武将グループが戦国時代の合戦の隊列を模して称念寺の正門前に集合している。全部で40-50人程度で坂出市や徳島市、三木町など遠くからも参加しており、かなり大がかりなイベントであった。甲冑作りのつながりもあるようだが、実行委員長の挨拶で実行に至った経緯が説明されたが、信長の頃に十河城で実際にあった戦闘や十河氏にまつわる史実に沿った戦国武将が参加している。実行委員長は十河氏の末裔で十河城の三の丸跡に十河氏のお墓と歴史資料館、カフェを運営している。ちょうど、このイベントの1週間前にカフェを訪問してそのテラスからコーヒーを飲みながら展望を楽しんだところであった。鰹宇神社では境内に舞台が設置され、戦国時代の十河城での大軍を前にして籠城を覚悟する軍議の寸劇や明日をも知れぬ運命の前夜は皆で呑み踊ったことがその後の阿波踊りに発展したとの説明とともに阿波踊りや地元の獅子舞が催された。自治会の協力もあり、ポップコーン、ケーキ、フライドポテト、フライドチキンが自治会の奥様お手製で安く屋台形式で販売され、地元農家のとれたて野菜の袋販売も人気を集めていた。
来年はさらに発展することを実行委員長や協賛の招待者は期待していたが、実行側の負担も大きく、続けるにはなにか強力なインセンティブが必要であろう。私のような一般の見物人には楽しい時間を過ごせてうれしいが、遠くから参加したり、地元の協力を見返りなく仰ぐことは単なるボランティアではむつかしいかと思う。課題であろう。観光事業とするか、歴史遺産とするかなにか工夫が必要であろう。