グリム農園&田舎暮らし

定年退職後の日々の日記です。

環境農家

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ここ一週間は年賀状の作成や小旅行などで忙しく、農事も休止していた。年賀状の宛先に応じて、コメントを書いていくのであるが最初は来年のやりたいことを思い浮かべてつづる。次第に自分のやりたいことは何かと自問自答しながら、コメントを書いていく。それが100枚近くなると、やりたいことが収斂し、明確になってくる。コメントも定まってくる。年賀状の効用としてはこのような漠然としたイメージを言葉で明確にする効果がありそうである。
「環境農家」は写真家の今森光彦氏がTVで話していた造語である。収穫を目標とするのではなく、環境保全を主眼においた農家だそうだ。私の目指す方向も同じではないかと考えている。親から譲り受けた田んぼを耕していて、子供の頃、しじみやタニシ、メダカ、ハヤなど小魚類がいっぱいいた小川はコンクリートで整備され、水路として安定して機能しているが生物はほとんどいなくなっている。水路には水草がそよぎ、植物で浄化された水でなく、淀んでコンクリートで熱せられた水である。今更、コンクリート水路を元にもどせないがまだ昔の土の水路が一部残っており、これを保全することは可能である。農薬を使わないで米や野菜を栽培する。化成肥料は直接的な影響はないと思うが微生物にとって自然界にない環境となるのでよく考えて使用する。
 減農薬を提唱した宇野豊氏が書いている「農本主義のすすめ」という本を読んた。資本主義が登場して「農」を中心とした社会が経済価値を最大化にする社会に向けて変貌する中で土地利用の考え方が変わり、効率や生産性を重視して、そこに住む生物や循環システムなどは無視された結果、地域や里山は開発され、あるいは放置され、多くの生物が環境を奪われ絶滅寸前となっている。私の子供の頃から、現在までの時代を振り返ってみると、この人間経済優先の歴史であり、私も疑問も持たず、経済発展に寄与すべく田舎から都会に移り、サラリーマン生活を謳歌してきたのである。そして気がついてみると生物環境保全や豊かな自然が犠牲になっている。欧州ではそれでも環境保護の考え方が共有され、自然資産として保護したり、生物にやさしい有機農業が盛んである。「サピエンス全史」を著したイスラエルの哲学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏が指摘する人類の未来をTVで聞いたが人類は科学技術が加速度的に発展する時代に来ており、AIや遺伝子操作などの生命技術を使って、そう遠くない将来に人類が自らを高度化して神にちかづくという。一方で人類は選択を間違う可能性もあるという。資本主義を乗り越え、地球を維持可能とする主義が取って代わらないと地球上に人類だけが繁栄することは難しいのではないかと思う。
 退職したシニアに何ができるのかと思うが、この方向で試行錯誤してみたいと考えています。実は虫や魚と同様に野鳥も好きで法律で禁止されていなければ、子供の頃のように「メジロ」などを飼って鳴き声を楽しみたいのである。生物の観察、水の調査などやることはたくさんある。自然に優しい環境農家を目指していきたいと思います。

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