生まれ育った集落にある天満神社に地神さんと呼ぶ石塔があり、これまで春・秋に集落の農家が中心となって祭祀を行ってきた。天満神社は菅原道真を祀る本殿があり、地神さんは別の土地にあったものを移してきた経緯がある。天神さんは集落の全戸で祭祀を行ってきたが地神さんはその中の農家のグループが担ってきた。だが農家の数も減り、高齢化で運用がより難しくなってきた。そこで天神さんと地神さんをまとめて一本化し、集落全戸で当番制で運用することを改善案として私を含むシニアグループから提言している。そこで地神さんはどのような神様なのか、集落の非農家が祭祀を行う意味があるのかについて調べておくことにした。
祭祀の詔をお願いしている鰹宇神社の宮司に地神さんについて、来歴を伺うと発祥は徳島で蜂須賀家に起源しているという。そして、五穀豊穣を祈願するもので、いわゆる地鎮祭を行う神様とはことなるという。ネットで調べるといろいろ載っているということを教えられた。確かに調べてみると地神塔は阿波の蜂須賀治昭の寛政元年の改革(1789年)で定めた地神祭執行に沿ったもの(参考文献)であり、これが阿波から讃岐へと波及したものと考えられる。この改革は背景として古来からの地域の自然信仰を統一して祭禮日を休むことで農民に休日を明確にし、祭礼を通して集落の結束を固め、生産性をあげるためらしい。しかし、阿波藩から隣の讃岐にも広まっていることから、石塔の造立が何か農民にとって信仰様式として強く訴えるものがあり、ブームとなって広まったのかもしれない。
地神さんは政策的に地神塔を作り、祭礼のルールを決めた経緯はあるが、ベースとして、その土地の神様、農の神様であり、産神として、その土地に生まれた人を一生見守りつづけるという信仰が基礎としてある。そうであれば、非農家であってもこの土地で生まれ、この土地に住む人であれば信仰対象とすることに何ら支障はない。天神さんが菅原道真を祀り、学問の神様として信仰するのと矛盾もない。
参考文献:平成28年1月 坪内 強【蜂須賀治昭の寛政改革と地神祭の特質】