グリム農園&田舎暮らし

定年退職後の日々の日記です。

仏教ことはじめ

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親類の法事に出席して、お坊さんのお経に合わせて渡された経本を見ながら、お経をあげる。私の母親や近所の親世代の人は法事では空で唱えていたように思うが、未だに「正信偈」を意味も暗記もしていない。自分の家の宗教は浄土真宗であることは知っていても真言宗や曹洞宗など他宗教との違いについてほとんど知らない。リタイアして時間的にも余裕があり、すこしずつ、調べていくことにする。まず、我が家の宗教である浄土真宗について関連する本を読んでみる。親鸞が始めた宗派であり、「南無阿弥陀仏」という念仏を唱えれば成仏するという万民のための宗教のようである。大学生や若い頃、座禅に惹かれて鈴木大拙の本を読んだり、インドのアーユルベーダやヨガなどにも瞑想という修行があり、いろいろ本を読んだ。宗教とは少し違うが不思議な精神のコントロールの技術があるらしく、マスターすれば精神的にすっきりするらしい。時間ができればやってみたいと思うものの、今までやらないできた。要するに宗教にはほとんど時間を割かなかったのである。最近、たまたま梅原猛著の「歎異抄」を読んで、そこに日本の仏教が簡単に解説されていて、改めて、仏教を勉強してみたいと思うに至った。梅原猛は哲学者であり、晩年の著作である「人類哲学序説」は彼の一生の仕事の総まとめではないかと考えるが、日本の思想として仏教や神道など古来の宗教は日本の風土で特徴づけられて、発展してきたことを理解した。つまり、どうも法事で念仏を唱えるだけのものではなさそうである。キリスト教の聖書に比較して、仏教の場合、聖書のように1冊にまとめられたものがなく、多くの経典があり、どれを読めばいいのか初心者にとっては不親切な状況である。その中で梅原猛の上記の本では非常にざっくりと日本の思想の一部として仏教を捉えており、各宗派の歴史的な背景や重視している点を分かり易く解説している。日本の仏教は奈良時代の6世紀頃に伝わり、聖徳太子に代表される知識人・政治家により国家鎮守の精神的支柱となったように思う。東大寺の大仏開眼など多くのお寺が創建されている。そして、伝来から250年後の平安時代に日本の風土の中で独自に発展した平安仏教が現れるに至ったという。最澄の天台宗と空海の真言宗である。大局的に見れば両者の差はほとんどないが平安仏教の特徴は貧富や修行の差などによらず、全員が成仏できる点が奈良仏教と異なる。修験道や仏教にしろ、厳しい修行を積み、悟りを得ることが宗教の究極の目的であると考えていたが、そういうことではなさそうである。天台宗も真言宗も自分たちだけでなく、皆全部を成仏、すなわち、あの世で幸せに暮らすことが叶えられると教える。そして、鎌倉時代にはその成仏の方法として、法然が念仏、日蓮が題目、そして道元が座禅を選んだという。鎌倉時代という武士が勃興して社会が大きく変革していく末法の世に難しい行よりもできるだけ簡単な念仏だけで成仏するという浄土宗が広く流布していくこととなる。詳細は次になるが、不条理に人が死んでいく末法の世では死んで極楽に行けることが切実な願いであったのかもしれないと思う。

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