グリム農園&田舎暮らし

定年退職後の日々の日記です。

獅子舞に参加する

2023年10月6日 から Mat Grimm | 0件のコメント

2019年の5月にUターンして10月に地元の鰹宇神社の祭りに参加したのだが、その時は”外山・円土座獅子連”の一員ではあってもただ一緒に行動するだけであった。しかし、新型コロナウイルスの感染禍の為に3年間、祭りは規模縮小、獅子舞は中止となり、祭りに本格参加する学習の機会は失われた。新型コロナも変遷を遂げ、一般の風邪並みの扱いとなるに及んで、2023年に4年ぶりに通常の規模で鰹宇神社の例大祭が行われることになった。
4年ぶりということもあり、さぞや皆は張り切って参加するだろうと予想していたが、獅子舞準備の最初の集会で常連の使い手が5名ほど喪中のために参加できず、定年退職して戻ってきた経験の浅い育成組のシニア3人が獅子舞の音曲を担当せざるを得ない状況であることを知らされた。そして9月2日から週2回の獅子の練習が始まった。祭りは9月24日に「口明け」、9月30日に「宵祭り」、10月1日「本祭り」という慌ただしいスケジュールである。私はほとんど鉦も太鼓も観客の興味半分でしか叩いたことがなかったが、3週間弱で本番となる。それでも自分に番は回ってこないだろうと思っていた。
獅子舞は鉦2と太鼓2の音曲と2人が油単の中に入って獅子となって踊る6人構成となっている。獅子の使い手は体力を要するため、若い人が交代しながら、約10分の舞を曲に合わせて踊る。通常は獅子使い手だけでも6~10人くらいが交替で使う。鉦と太鼓は1曲持ち切りでもそれぞれ2人、最低でも4人が必要である。普通は場所を変えながら何曲も演舞するので、交替要員2人を加えて最低でも6人は欲しい。全体で12人位の人数となるが、後ほどの獅子舞のスケジュール調整では9人という時間もあり、全く苦しい状況であった。過去には若手が郷里を離れ、少子化もあり、何度も少人数で挙行せざるを得ないこともあったそうである。
現在、十河地域(約3700世帯、53自治会)の本神社である鰹宇神社で獅子舞を奉納する権利をもっているグループは8つの獅子連である。しかし、諸事情により、年々減りつつある。外山・円土座獅子連は26世帯の外山自治会と数名の旧円土座自治会から成るグループである。私が子供の頃には獅子の鉦や太鼓の音が遠くから聞こえてきて、祭りが近いことを知り、鰹宇神社の秋祭りに連れだって露店で買い食いしたり、おもちゃで遊んだりした楽しい記憶があるが、獅子舞は見たかもしれないがその機会はすくなかったように思う。
獅子舞は獅子連によってその曲も踊りも異なる。我が獅子連では「牡丹くずし」という分類に入るらしいが、次のような踊りを行う。獅子という動物が呼び出しで登場し、首や耳、口を動かせて身体の手入れをしたり、動物の所作を披露する。そして、やがて身体を左右に揺らしながら、正面に向かって前進していく、前面に到達すると頭を下げ、尻を高くして激しく首を上下左右、前後に振って威嚇するような動作をする。その時、鉦と太鼓が動きに合っているといわゆる「見え」がきまる。これが舞の最高潮部であり、「猩々の舞」というらしい。10分間の間に獅子は前面で踊ったり、後ろに下がって眠ったり、ループを描いて回ったりして数回、前面に出て威嚇動作をする。この一連の動きはいくつかのパターンを組み合わせてテンポを変えたりするのでこれを覚えるのは容易ではない。踊りの順番は変わらず同じなのであるが、それぞれの舞から次の動作に移るのは太鼓の合図である。鉦は太鼓や獅子を見ながら、次のタイミングを測る。太鼓は獅子を見ながら次の踊りの合図を出す。獅子は鉦の音に合わせて獅子の頭を振ったり、油単を動かす。太鼓をたたく人が全体の指揮を執る。早く終えるときは舞を進めるように合図を早く出すことで短くできるし、丁寧に時間を掛けたいときはゆっくりとしたテンポで行う。8分~16分くらいに自在に調節できる。
私はまだまだ、未熟で曲が身体に沁みついていない。時々間違えるし、今がどのシーンかを見失って迷ったりする。その時は鉦が止まるので、獅子舞の勢いを削いでしまう。
ボケ防止にと思い、必死で覚えるが次の日には忘れている。この繰り返しである。しかし、獅子連の活動を通して思うことは地元の祭りの持つ不思議な活性化作用である。そして、獅子舞を通じて自治会の人たちや地域の人とのつながりができてくる。江戸や明治の時代から続いているという獅子舞にはその理由がある。耳がおかしくなるほどの音であるが、心地よい響きがあり、気持ちが明るく高ぶってくる。また、来年もやりたいと思う。

2023年8月20日
から Mat Grimm
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夏の海と山の楽しみ

夏の楽しみの一つは海水浴であるが、2,3年前から瀬戸内海に面した庵治半島にある小さな海水浴場に行っている。いつ行ってもビーチは混んでいない。半島には海沿いの細い道があってぐるっと周回できるようになっているが先端にももうひとつ海水浴場があるが、そこまでの途中にある、半島の真ん中あたりに高尻海水浴場がある。
瀬戸内海に面した小さな入江で砂浜も磯も突堤もあり、ゆっくりと海遊びができる。我が家から、車で30分位の距離で思い立ったら気軽に行けるのもよい。今年はお盆に近い12日に出かけ、少し海に浸かると、酷暑でゆるんだ身体の熱が取れるようで満足する。
砂浜にはいろんなものが漂着していて、歩きながら目を皿のようにして探す。貝がらや角の取れた色ガラスなども見つけると嬉しいが今年はなぜか、壁を塗るときに使う取っ手の付いた四角い板を見つけた。土を載せる面がプラスチックでできていてまだ使えるものである。使わないだろうと思いながら、もって帰ってしまう。
千葉の佐倉市に住んでいた頃は、海水浴というと外房の九十九里、御宿や内房の保田などへ行ったが遠いのでそれなりに準備が必要だった。
海だけでなく、山の涼しさも探検したくて探していたところ、近くに「虹の滝」というちいさな滝をネットで家族が見つけ、行ってみた。やはり、車で30分くらいの距離で県道であるが普通車だとすれ違いのできない道幅しかない道をくねくねと登り降りしながら行くと、道路に滝の場所を示す看板があり、そこで車を停め、道路から下の沢に降りていく。道路の谷側も木々が生い茂り、よく見ると川が流れているのが透けて見えるが、降りてみるとこんなに近くに滝があるなんて気づかなかった。
滝の高さは10-15mくらいではないだろうか。それでもかなりの水量が岩に沿って流れており、滝壷もちいさいながら、泳ぐこともできるくらいの広さである。しかし、さすがに山の水は冷たく、泳いでいる人はいない。ウエットスーツを着てボート遊びをしている。
驚いたのはその川のせせらぎの豊かさである。浅瀬と岩と砂のせせらぎには実にたくさんの生き物を見つけた。小石を除くと、沢蟹がいたり、ちいさな川魚もたくさんいる。あめんぼ、トンボ、蛙などいたるところに見つかる。そして、石菖という植物も岩にくっついて生えている。
子供の頃の近くの川ではこのようなところがあったが最近の農業用水路はコンクリート化、家庭用排水の富栄養化などでほとんど生物はいなくなっている。人新生という新たな地質世代に1950年代から入っているらしい。人の活動で急速に生物環境のバランスが崩れているらしいが、虫、植物がいなくなっても人間が生きていけるとは思えない。昆虫写真家であり、かつ里山の維持を提唱している今森光彦氏が「環境農家」を自称しているが、私も賛同する。「虹の滝」からもどり、捕まえた沢蟹と川魚を水槽に入れて、故郷のこの地域を生物多様な昔の里山に復活させたいと思うこの頃である。

 

 

令和5年のスイカ

2023年8月17日 から Mat Grimm | 0件のコメント

 今年もお盆を過ぎ、もっとも暑い時期を超えたように思う。燃えるような暑さの中で身体を動かして喉が渇いたときに冷えたスイカは本当においしい。糖度は高い方が良いが、水代わりに喉を潤すスイカは甘くなくても気にならない。この記憶があるので毎年、スイカを必要以上に作っている。冷蔵庫は2つあるが、夏の間はいつもスイカが冷えている。子供たちにも宅配で送っている。
 今年は欲張って9種類のスイカの種を蒔いて、40株以上を定植した。しかし、温床の温度管理が不適切で品種によっては3月の種まきで発芽温度に達せず、発芽しなかったので、後日、そのポットを利用してそのままトウモロコシなど違う野菜の種蒔きに使ったところ、トウモロコシだけでなく、スイカらしき新芽が出てきた。土を再利用したつもりなので、どの品種のスイカの種につかったかはもはやわからなくなってしまった。だから、外観だけで区別できる品種しか同定できていない。これまでに確認しているものは5品種である。
 今年の経験から、スイカを発芽させるには夜間の最低地温が10℃程度では不十分で20℃を確保しなければいけないということだ。3月の種まきの時期では外気温は夜間にほぼ零度付近まで下がってしまい、電気カーペットを使ってもポットの地温を10℃までしか確保できなかったのである。5月になるとさすがに夜間温度も上がり、発芽環境が整ったということであろう。トウモロコシといっしょにスイカも発芽してきた。
 トウモロコシの定植の際に株を分け、定植は1-2か月遅れで行った株もある。そのため、収穫も遅れ、昨年は7月初めから獲れていたものが7月後半になり、遅いものではこれからという株もある。私は基本的に放任栽培なので、摘心や人工交配などは行わず、定植したらそのまま放任している。だから、1株で1個とれれば良しとしている。放任栽培でも2個取れる株もあるので、栽培畝はぜいたくに使っている。3m幅で大玉は株間を1.5-2mとしている。今年、最大の玉は9.4kgであったが、5-6kgのものが多く、全体に小さい。10kg以上を目指しているが、株の整枝剪定を行わないとエネルギーが分散してしまうのであろう。
 今年の目玉は何と言っても「金色羅王」という品種である。黄色のスイカで糖度が高いという特徴の人気のスイカである。遅れて発芽したため、成長時間が短くて小さいのか、天候が7月、8月前半は極度に暑く、樹が枯れてしまい強制終了となってしまったためか3.2㎏程度しかなかった。しかし、切ってみると見事な黄色からオレンジ色で食べてみるととても美味しい。他の品種にない味であった。スイカも品種が大切なのだと実感した。今年、金色羅王はまだ1個しか確認していない。まだ、収穫はつづくが、来年もまた、がんばろうと思う。

2023年7月23日
から Mat Grimm
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オクラの栽培

 オクラの栽培を始めて恐らく、3年目か4年目であるが、作り始めて、やっと奥さんの希望に叶う品質のオクラが取れるようになった。オクラは「実」がおおきくなると同時に硬くなり、煮ても柔らかくならない。オクラは柔らかくないと失格である。オクラを栽培して出荷しているプロ農家の人に聞くと、オクラは1か所に3,4本を植え、互いに競争させることでそれぞれの樹が享受できる光や土の栄養が減り、弱くて細い樹になり、その結果として柔らかいオクラがとれるそうである。
 昨年からマルチの植え穴に点播きで一か所に4,5粒の種を蒔いていたが、発芽後もそのまま放置していたため、気づいた時には巨大なオクラの実がなっていて何故か、丁度良いサイズの柔らかい実がほとんど取れなかった。そこから獲れたオクラは大きいものは茹でても、てんぷらにしても繊維が残り、おいしく食べられなかった。単に2-3株を競争させても柔らかいオクラは獲れなかったので、今年は品種を変え、大きくなっても柔らかいという謳い文句の品種を選んだ。2条株間50㎝で12穴に5月15日に種を蒔いて、発芽後に3,4株に間引いて、順調に成長して花をつけ、いよいよ7月9日に初収穫を行った。
 最初が肝心で放置せずに最初の実を巨大化させずに、まだ小さい内に収穫した。その後は、二日毎に収穫しており、大きくなり過ぎたものは獲って廃棄している。つまり、3日以上は実を放置せずに、オクラの実を収穫することで樹勢を保っている。そして、それぞれの樹は分岐芽が出ると除去し、一本立ちにすることでオクラの実に栄養が集中するようにした。茶色になって枯れそうな葉も除去している。こうすることで樹が安定して下から上へと順に花が咲き、実をつけるように思う。

2023年7月21日
から Mat Grimm
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7月のイネの世話

 三日あるいは四日毎に田に水を入れるので、イネの状況が判る。その度に少しずつイネが成長していることを感じる。3枚の田があり、田植え後は補植を一枚ずつ、やってきたが、2枚目が終わってみるともうイネは補植の時期を過ぎていると感じる。田植えから一か月も過ぎると苗も老化して、苗というよりも成木を植えるようなイネの外観である。補植してももう追いつかないだろうと思う。
 そこで、主な関心は田の草取りである。今年はこれまでいわゆる「ころがし」をやっていない。つまり、田の土を攪拌して、芽を出した雑草を浮せて除草する田車のコロガシ作業をやっていない。昨年は新しく水田にした田で「菜の花」による抑草も使えず、田植え直後からの深水による抑草にも漏水で失敗し、コロガシによる除草では間に合わないほどの雑草が生えて、7、8月は除草との闘いであった。
今年はその圃場で菜の花の一種である「きからし」を緑肥として種まきし、それなりに生育し、緑肥として漉きこんだ。そして、田植え後の深水を不十分とはいえ、3日後からはほぼ達成できたように思う。それでも田植え後、高い部分では土が水から露出した時間が1-2日程度はあったように思う。だから、その部分は「ひえ」が密集して生えており、水入れの際に満水になる1時間程度の間、ひえを手で抜きながら待った。
 他の2つの圃場は深水管理は比較的できていたが、それでも土が露出する時間が少しはあったと思うが、今年は「きからし」を2度、種まきしたにもかかわらず、不出来でほとんど生育しなかった。雨が多かったためか、種まき後の鎮圧を行わなかったためか緑肥とは言えないレベルの生育であった。田植え後は補植しながら、目についた「ひえ」を抜いてきたが、例年に比べるとやや多いなという感触であった。しかし、7月10日過ぎに田の高い部分を歩いて除草しているとそこには「ひえ」とは違う雑草が、水面下の土に面的に発芽・生育していることに気づいた。これは手で抜くような数でも大きさでもなく、「コロガシ」で土を動かして除草するしかないことを認識した。今日は7月20日で遅いかもしれないが、早速、No.4の圃場の高い部分のある南側からコロガシをやることにした。コロガシは手動ではなく、刈払い機に取り付けておこなうトリマーという製品で水田の表土を回転するかご車で攪拌し、歩いて前進しながら、除草するものである。エンジン駆動なのでどちらかというと引っ張られながら、歩くという感覚なので大きな負担はないが、一条毎の除草なので、とにかく水田を一条毎に歩いて往復する。陽射しの強い時間帯を避けて、午後遅くに行うが持久力のいる仕事である。過去の日誌を見ると、21年は6月29日、30日にコロガシをやっているが、22年は3枚目の除草に時間を取られ、コロガシは3枚目以外はほとんどやっていない。7月の後半ともなるとイネはもう分決が盛んで扇を開いたように大きく成長しており、条間といえども回転物を転がすとイネの葉を巻き込んだりしてイネを傷つけないではすまない。7月初めまでにコロガシを終えるべきであろう。

2023年7月12日
から Mat Grimm
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長ネギの定植

 ネギには一本ネギと分決ネギがあって、私の理解では一本ネギは長ネギとか白ネギといって、根に近い白い部分を鍋や麺などの料理で主に煮て食する。分決ネギは葉ネギと言って、細かく切って主に薬味として使う。もちろん、白ネギを細かく切って、薬味に使うこともあるのでおおきな違いはない。
 私の生まれた地方では子供の頃、長ネギは余り食べていなかったように思う。少なくとも母の料理は薬味としての葉ネギが中心だったが長じて関東で生活するようになり、納豆や長ネギなど食材の幅が広がった。しかし、今ではここ讃岐地方でもスーパーで普通に入手できるようになっており、食べる人も増えていると考えられる。
 そこで2年前から、一本ネギを作り始めたが、白い部分を長くするには成長に応じて何度も土寄せをして、光を遮断すると白くなる。しかし、白い部分を25㎝以上にするには土寄せのための土が不足するので、もみ殻を代わりに使う。
 もみ殻は軽くて風に飛ばされてしまう。そこで長ネギの畝を水田の畔波板を使って長ネギの畝を囲い、そこにもみ殻を投入する。もみ殻は最寄りのJAのカントリーに行って、分けてもらうのだが、時期によって無い時がある。昨年はもみ殻投入が遅く、結果的に白い部分の長さは15cm程度と短くなった。
 近くのプロ農家のYさんは長ネギを畝の上ではなく、畝の中央に溝を掘り、溝底に定植している。低い位置にネギがあり、土寄せの高さを十分確保した植え方をしている。そして、長ネギを一条に植え、土寄せは専用の管理機で行う。
 今年はこれを真似て、畝に2条の深い溝を掘り、溝底に長ネギを植えることにした。そして、田植え紐を使って、株間10㎝で長ネギの苗を定植した。長ネギの種まき時期は秋と春播きがあり、品種として秋播きに早生一本太ネギ3.5ml、春播きに石倉一本ネギ7mlおよび金長葱8mlを蒔いた。当然、秋播きの方が成長が早く、収穫も早めとなる。玉ねぎでは種6mlで苗500本取れるので、うまく行くと1500本取れることになる。20mの畝で株間10cm、二条植えだと400本定植できるので、3畝分(60m)はとれそうである。
 昨年は30mくらい作ったが、白い部分が短くて、いわゆる規格外なので、本数で長さをカバーするように本数を多くして売ったところ、畝の長ネギ全部を売り切ってしまった。長ネギは何にでも料理に使えるので、時期を問わず、底堅い需要のあることが分かった。だから、今年は増やしている。それほど、甘くないと思うが「にわか」農家としては期待している。

2023年7月3日
から Mat Grimm
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らっきょうの収穫

らっきょうの酢漬けが懐かしいので、らっきょうを毎年、作っている。ニンニクと同様に種球を植えるだけで余り手がかからない。注意すべき点は玉ねぎやにんにくと同じで草に負けてしまうのでタイミング良く除草をしないと大きくならない。草に囲まれて競争状態になると除草する。2-3回は行っている。10m長の畝に30㎝の株間で3条植えとした。つまり、102球を植えたことになる。1球から分決して10球前後に増え、大きくなる。昨年10月8日に植えて(一昨年は9月1日に)、7月2日に収穫した。今年はコンテナ3つ分の収穫(約6kg +)で大きさもおおきいものが多く取れた。作り始めて3年目だと思うがやっと満足のいくらっきょうが取れた。らっきょうもニンニクと同様に取ったら、大き目のものを種球として残し、乾燥させて保存するが、太陽光で変色し、赤紫色に色づくので種以外はすぐ漬物にする。らっきょうも生命力が強く、小さくて捨ててあったものが根付いて翌年にはそれなりに成長して分決して増えているくらいである。種球も一度、購入したきりで足りている。ワケギとかラッキョウなどはそれほどたくさんの量は必要ないがどうしてもたくさんできてしまう。だから、親類や親しい人におすそ分けするのだが、こういう昔の素朴な味は同じような子供時代を過ごしたシニアでないとなかなかその美味しさは理解できない。喜んでくれるか気にしながら配る。

2023年6月29日
から Mat Grimm
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無肥料畝のカボチャ収穫

 枯枝やもみ殻などに土を被せてマルチで保温した無肥料畝にカボチャやメロン、スイカを定植したり、種を蒔いて無肥料栽培を試みている。バラつきは大きいが、成長の良い株は実をつけて収穫できるまでになっている。カボチャは生命力が強いので無肥料畝でなくても成長して実をつけるかもしれないが、通常の肥料栽培と比べても見劣りのしない大きなカボチャができている。
 肥料を与える通常栽培では病気になりやすいという欠点があり、特にうどんこ病が発病すると一気に広がり、どの畝も感染して樹勢が衰えて、そこで寿命となる。無肥料畝ではそれがどうなるかが注目点である。どの畝も基本は放任栽培で枝の混んだところを剪定して、風通しをよくしたり、芯止めして4本立てに整枝するなどはやっていない。今のところ、うどん粉病は発生していないが、それでも混みあう主枝の根本付近は葉が枯れて幹しか残っていないが幹は太く生命感がある。しかし、無肥料畝の評価は難しい。今後の樹勢がどうなっていくかを長期に見ないと判断できない。
 5つの無肥料畝のNo.1は芳香南瓜を種まきしており、No.5の無肥料畝はポットで育苗した「えびす」の苗を定植した。No.2はスイカ、No.3はメロン、No.4は秋カボチャを植えている。No.5の畝では通常栽培と遜色ないカボチャが実をつけている。芳香南瓜も種から植えたのでその分、成長が遅れて実をつけており、大きさで少し劣る。両者を収穫して早速、いただいたが、「えびす」は定番の美味しさで満足している。芳香南瓜はまだ実が十分熟していなかったためか、味がやや薄くて物足りない。メロンもおおきいものをひとつ収穫した。
 無肥料畝には枯れ枝、竹や笹などの高繊維質の植物の朽ちたものを供給する。次の時期に備えて、早めに収集しておきたいと思う。3m幅の高畝にしているが、畝の中央のみ高くなっており、スイカ、カボチャ、メロンの大きな実は座りが悪く、斜面に実がぶら下がってつるに負担がかかっている。中央の平坦部をもう少し広げて、座りを改善したい。無肥料畝は慣行栽培ほどの収穫量は期待できないだろうが、自然の強さをもった、バランスの取れた野菜の収穫を期待したい。

2023年6月27日
から Mat Grimm
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田植えと水管理

田植えは機械植えが主流となり、単独でできるようになっても大きなイベントである。「ゆる抜き」というため池の水をその年に初めて放流する儀式を行うが、あっちこっちにあるため池でほぼ同時期に開栓となり、それと同時にいっせいに田植えが始まる。田に水が入り、いつの間にか、田んぼは水面で反射する鏡のようになり、景色は一変する。今年は「ゆる抜き」が6月16日(金)にあり、10日後の26日には周囲のどの田んぼもほぼ田植えは終わっている。私は5月25日に種まきし、6月17日に移植(田植え)したので23日苗となるが、草丈が20㎝を超えてやや徒長気味である。6月3日に苗代に移し、プール育苗とした。ほぼ毎日、苗を棒で露払いをしたものの苗丈はぐんぐんと伸びた。ゆる抜きの6月16日に水路から水を引き、代掻きを行った。水を入れると田の高低部分がはっきりする。そこで代掻き前に高い部分から低い部分に向けて、トラクタでロータリを逆回転させながら、移動することで土を移動させ均平化を図った。通常はトラクタの進行方向とは逆の後方に土を撥ねる。現有のトラクタは逆回転機能があり、それを使うことで進行方向に土を撥ねながら移動させることができる。購入してから100時間以上になるのでトラクタもいろいろ使いこなせるようになってきた。逆回転による土の移動は比較的頻繁に行う技術である。代掻きのもう一つのポイントは田に入れる水量であるが、代掻き後に2-3㎝の水深となるようにヒタヒタとなる程度に水を入れる。田植え機が田の表面をひっかいて次の折り返し時の田植え位置のマーキングを行う。だから水が少ない方がはっきりと印がつく。しかし、雑草を防ぐには植えた直後に増水をして発芽できないようにしたいが水が自由に入れられないので田植え時には水を多めに入れておかざるを得ない。田植えは今年も義弟に手伝ってもらい、4時間弱で3つの圃場の田植えを終えた。出来栄えは決して良くないが、田植えは勢いでやらざるを得ない。最初の圃場の田植えは長い丈のままの苗で行ったが、苗が転んで植えられたり、爪でカキとる際に長い葉が爪に絡んで空植えになったりした。そこで苗を供給する際に苗の先端を剪定して15㎝以下になるようにしたところ、きれいに植わったように見えたので、2つ目の圃場からすべての苗を短く剪定した。具体的には剪定ばさみでジョギジョギと垂れた上部の葉をカットした。これで転び苗と欠株はかなり減らすことができた。
 16日に田に水を入れて17日に田植えだが、この半日から1日の水の減り方で漏水の有無が判る。田んぼの畦畔がコンクリートでできていれば、漏水はほとんどないか、あっても少しである。しかし、昔ながらの土の畦畔の場合、いろいろの理由で漏水が起こる。一番の理由は「もぐら」である。もぐらはミミズや虫を追って土中を掘って進む。だから、畔の土の中は穴だらけである。だから、私は畔波板というプラスチックの板を使って少なくとも畔からの漏水を防いでいる。しかし、波板を設置するときの水田の底と波板との接触部分が非透水の土で覆われていないと漏水が起こる。このため、土を練って粘土状にして水が通らないようにする。また、波板は20mくらいの長さなので接続部分は波板を重ねて設置するが、合わせ目が水中に露出しているとここから、水が流れ出てしまう。十分な防水を果たすように土を足で踏み込んで粘土化し、さらに波板の重なり部分は土寄せを行い、水に露出しないようにダムを作る。
とにかく、田植えから約十日間は毎日、田の水位を見て減りが大きいと漏水箇所と思しき箇所の対応を図る。それでも晴れて温度が高くなると蒸発して水位も下がるので、24時間で1㎝程度の水位減少は起こる。放流は三日後その四日後の繰り返しである。だから、4㎝位の水位減少があっても土が水面から露出しないように深水にしている。下の図は各圃場に設置したスケールから水位を読み取り、経過をグラフにしたもので、ジャンプしているところで水を入れている。No.2の圃場で特に漏水が大きく苦労した。

2023年6月20日
から Mat Grimm
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ライ麦の収穫とパンつくり

パン用の小麦としてミナミノカオリを作っているが、昨年11月には加えて「ライムギ」の種を少し蒔いた。2-4粒を15cm間隔で6列、全長で180mくらいの量である。最初に鶏糞を肥料として漉きこんだほかには何も与えていない。発芽して、成長し、草長は2mを超えるが意外と風に対しても強く、倒れることもなかった。近所に住む人からあれは何ですかと質問されたこともある。そして、5月に入り、小麦を収穫して次にこのライムギをどうやって収穫しようかと考えたが、何しろ草丈が長いので通常のコンバインでは処理できない。そこで、鎌で半分の高さで切って、束にしておき、次にコンバインを近くまでもって来て、このライムギの束をコンバインに手で投入し、脱穀する。半分でも1mくらいなので、通常の小麦と同じである。ライムギは粒が細長いがなんとか脱穀後の網目を通って袋まで送られた。重量は計っていないが、10㎏程度は収穫できたと思う。すぐ、乾燥するために天日干し用の木製の箱に入れ、ガレージの中で広げておいた。雨が続き、外で干せない。ほぼ乾燥したので、早速、試しにライムギパンを作ってみる。ネットで調べると小麦65ライムギ35の割合でホームベーカリで焼けるとある。いつもミナミノカオリのパンを焼いているので、それに35%のライムギを混ぜることにする。製粉は小麦と同様に製粉したが、ミナミノカオリでは玄麦から7割の小麦粉が取れたがライムギでは55%であった。製粉時にやや乾燥が不十分で柔らかい感触があった。もしかしたら、それが原因かもしれない。ドライイースト、塩、砂糖、バター、小麦粉、ライムギ粉でパンを焼いたが、いつもの6割くらいしか膨れなかった。どうもそうらしい。小麦だけのパンは普通、二日目から乾燥してしまうがライムギが入っているとずっとしっとりとして重たい。毎日、一切れづつ切り取って、少し温めて、いただく。ライムギパンはサワー種を使うと酸味がして、特有の味がするが、サワー種がなくても風味はそれらしい。ライムギらしくておいしい。まだ、数kgあるので、いろいろ試してみたい。また、来年は少しライムギを増やすかもしれない。

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