グリム農園&田舎暮らし

定年退職後の日々の日記です。

2020年11月11日
から Mat Grimm
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塚と十河城の戦い

子どもの頃、その塚に踏み入れることは禁じられていた。その塚は戦いで命を落とした人が葬られているという。その塚は今でも田んぼの中に小さな森となって存在している。トラクタで田を耕すとき、塚が邪魔になってうまく耕せない。一体、いつ頃の戦いだろうかと考えていたが、最近、讃岐の歴史を読んでいて、近くの十河城で大きな戦いがあったことを知った。高知の長曾我部元親に勢いがあり、四国全体にその勢力を伸ばして、当時、讃岐の東地域を治めていた十河一族に大軍で攻め入り、十河城を取り囲んだ。天正10年(1582年)の秋で秀吉の時代である。城主存保は他城へ脱出し、十河城は精鋭千人で籠城し、攻め手は3万6千人の大軍で取り囲んだ。鉄砲・大砲による銃撃戦、夜間の切込み隊など激しい戦いがあったが、落城せず、長期戦となる。存保の要請で秀吉の援軍が出されたが讃岐の東にある入野山の戦い(天正11年)で援軍が破れ、存保は仕方なく元親と城兵を無事に出すことを条件に十河城を開城したという。私の田んぼはその十河城から約1kmの距離にある。あくまでも想像であるがこの時の戦いで死んだ兵士の塚ではないかと考えている。このような辺地に兵士の墓が作られるような戦いの機会はそれほど多くはないだろう。田の作業をしながら、その塚の歴史に思いを馳せるこの頃である。

2020年11月9日
から Mat Grimm
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キンギョソウ・アスターのポット移植

キンギョソウ、アスターを種まきしても、これまでうまく発芽しなかった。庭に適当に種をばら撒いても生育しなかった。ポットに種まきしても、ダメだった。今回は種まき用の土を購入して、さらに粒子が細かく保湿性のあるバーミキュライトを混ぜて、それを2種類の連結セルに入れ、種が小さいので紙を折って折り目に沿って種を1ケづつ移動させ、セルに落とす。小さい方のセルについてはキンギョソウ種袋の指示通り、水を薄く張った箱に浸けることで水分を与えた。やや大きい方のセルは上呂で水を与えるがネットを被せ、水の勢いを弱めた。置く場所も直射日光の当らない軒下で風通しのよい玄関アプローチに置いた。キンギョソウを10月17日、アスターを18日に種まきした。10日後の27日になっても発芽せず、やきもきしたが、2週間後の11月2日には発芽を確認した。この時期は気温がどんどん下がる時期で発芽適温である15度Cから20度Cの温度範囲にちょうど入る頃であった。やはり、高すぎても低すぎても発芽しないと考えられる。グリーンハウスでは夜に低くても昼に日が照るとすぐ温度が上昇して30度や40度には達してしまう。ハウスでポット種まきが成功しない理由は温度管理であろう。

近くのホームセンターや苗を売っているスーパーに行くとパンジーやビオラ、ストックやキンセンカなどが花付きの大苗で売られている。一体こんなに早くどうやって育苗するのだろうか。夏場に涼しい環境を作り、発芽させているのだろう。

2020年11月5日
から Mat Grimm
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公渕公園の菊花展

公渕公園は公渕池とその周囲をぐるっと囲む森からなる森林公園で、そこに自由に遊べる広場やアスレチック遊具のエリア、鳥などの観察エリア、菖蒲や牡丹などの植物園などさまざまなエリアが遊歩道でつながれ、周回できるようにした公園で市民の憩いの場となっている。そして、秋のイベントとして今年も菊花展(10月15日から11月10日)が開催されており、10月30日に訪れた。私が子供の頃には菊人形展という菊でさまざまな人形を象った展覧会があちこちでこの時期に開かれ、菊の鑑賞そのものよりも多く集まる人を目当てのさまざまな出し物や屋台などで買い食いする、楽しい機会として記憶している。今の菊花展は花として鑑賞するため、単純に1本や4本に仕立てられたり、丸く半球状に仕立てたりした菊が多く、人形にすることはないようだ。大輪の菊はとても豪華で見事という他ない。作者の名前プレートもあり、その情報から同じ人がさまざまな種類の菊を出品していることが判る。きっとその人は個人だけでなく周囲の家族も巻き込んでを菊の栽培に注力しているのだろう。菊の株元を見ると1株から1本ではなく、4本に枝分かれしたり、半球仕立てでは1株から数十本の枝に分かれ、それが針金に沿って空間的に整列して、あるいは放射状に均等に配置されている。その菊がほぼ同時に開花しているのに感心する。一つのコーナーとして菊盆栽があり、小さな鉢に菊がまるで盆栽のように仕立てられている。そこで手入れしている人に尋ねると、菊は宿根草なので株は毎年、同じ株を使うが芽が出てからは新たに整枝する。すぐ大きくなるので薬で成長を抑制しながら、形状を整えていくのだそうだ。

菊花展のもうひとつの楽しみは実は併設の焼き芋販売である。この時期はさつまいもの収穫期であり、地元のさつまいもがその場で焼芋マシーンで焼かれ販売されている。今年は一個百円であった。ほくほくの焼き芋をベンチに腰掛けて賞味した。菊の鉢の販売やチューリップの球根などが産地直売価格で販売されており、小菊(クリスタルピンク)と孔雀草(薄い紫)の2鉢を購入した。来年にはこれを挿し木で増やしたい。

2020年11月2日
から Mat Grimm
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小麦作付け計画

昨年、初めて小麦を試しに作付けしてみたが、思いのほか簡単にできた。ほとんど手を掛けていない。品種は最も一般的な農林61号であり、行きつけの種苗店にあった唯一の小麦の種であった。近所の小麦作付け農家の種まきを見て、1-2日遅れて種をまいた。排水の悪い水田跡地しかないので、高畝にして、手で数粒づつ点播きした。畝幅は1m弱で1条の畝を4つ、畝の長さは計80mくらいである。発芽して、土寄せや麦踏はそれぞれ一回しかやっていない。畝幅が狭く、麦踏は難しい。肥料は野菜を作ろうとして施肥していたのでこのために施肥していない。途中で追肥として硫安をぱらぱらと散布したが、定量的ではない。それでも、出穂して稔り、鎌で刈って、グリーンハウス内に竹竿に挟んで乾した。脱穀の手段を検討したが、ブルーシートを敷いてその上で小麦の束を木づちで叩くという方法がよさそうであったが、その後の工程として子実を葉や茎片などの屑と選別する良い方法を思いつかず、放置していた。唐箕という手動回転式の古い風選別装置を持っていたが場所をとるので昨年に廃棄してしまった。今から考えると早まったと反省している。これは大豆、ゴマ、そばなどの子実を脱穀後に茎葉屑と選別するのに大変便利な装置である。10月になって、古いコンバインを修理してイネの刈り取りと脱穀を行うことができるようになった。このコンバインは麦にも対応しているので、干してあった麦の束を脱穀した。約10㎏の小麦の玄麦が取れた。

農林61号は中力粉に分類され、麺類には使えるがパンには適さない。私は朝食には毎日パンを食べており、そのパンを焼いている。だから、パン用小麦を作りたい。ネットで調べると私の地域(西日本)の気候に合った強力粉となる小麦はニシノカオリとミナミノカオリである。小麦の作り方で迷っているうちに両品種の種が売り切れとなり、令和元年産のミナミノカオリが残っていたので10月27日に発注した。ミナミノカオリの播種時期は標準でやや遅く11月20日頃である。

刈り取りや脱穀はコンバインがあるのでこれを利用したい。しかし、コンバインは幅の狭い高畝には傾いて使えない。だから、幅の広い低い畝にする必要がある。そうすると排水不良で生育するかどうか確信はない。播種量は100m2(1a)当たり、600~800gというが、播種量は播種方法や播種時期、地力によって変わってくるが、私の場合には60㎏程度を収穫できればよい。ドリル播きの収量データによれば反当たり400㎏がとれるという。小麦を栽培しようと考えている圃場の広さは450m2程度である。排水の悪い南端は使えないし、西と東の枕地はコンバインの作業スペースを考慮して1.5m程空けておくと、実質的栽培面積は300m2前後となる。ドリル播きの場合には収量は120㎏となるがドリル播きは高密度の多条播きなので、仮に畝幅150㎝の4条播きとすると、その半分の密度の2条播きで収量が60㎏程度となる。平均的条間隔は75㎝となる。

手押し車型の種播き器があれば、種播きが簡単だが、3万円から5万円もするので諦めた。昨年同様、手で15㎝間隔で5粒前後を点播きすることにする。肥料は有機肥料として醗酵鶏糞を窒素で反当たり5㎏相当を散布してから、ロータリーで7-8㎝の深さで漉き込む。高松の中山間地にあたるので標準的種まき時期は11月20日であるが、5日程度早め、11月15日にしようと考えている。

水田跡なので排水は明渠のみで圃場の周囲は深く溝を設けるが畝間の溝はコンバインで刈り取れるように浅くする。

2020年10月21日
から Mat Grimm
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稲作のまとめ

来年も稲作をやろうと思うが、どのくらいの費用が掛かっているのかまとめてみる。人の労働やすでに持っている農機は除外し、イネ作りに実際に新に支払った費用である。費用を2つに分ける。毎年発生する直接費と耐用年数の長い設備費に分ける。種もみ費や肥料代、乾燥・籾摺りの外注費を直接費として3万6千円、コンバインの修理費、水草除草アタッチメント、田植え定規などの設備費が12万円である。今回のお米の出来高は玄米で427㎏で屑米が40㎏程度である。ざっと7俵の出来高であった。設備費の耐用年数を5年とすると年あたり2.4万円だから、直接費と設備費を合わせて6万円となる。1俵あたり8千600円となる。この辺りの米の市況の半分くらいである。

今回はビギナーズ・ラックと言える幸運に恵まれている。種もみは品種「にこまる」全量を購入した。私の地域では「ヒノヒカリ」か「コシヒカリ」である。「コシヒカリ」はおいしいが早生であり、中晩成の「ヒノヒカリ」に近い「にこまる」にしたことで、代掻きや田植え、稲刈りなど回りの稲作作業を見て、対応することができた。もし、コシヒカリであれば、スケジュールが先行するので遅れた可能性が高い。

完全無農薬とするため、水苗代で5.5葉の大苗(5月15日播種、6月20日田植えの36日5週間)を育苗し、1本または2本の坪36株の尺角手植えとして、深水でヒエを防いだ。また、元肥として2月にからし菜の種を播き、田植えの1月前に漉き込み、と同時に鶏糞を反当たり窒素分で5㎏を投入した。地域の水路の放流が6月17日から開始となり、この日から代かきを一度だけ行い、19日―20日で田植えをおこなった。代掻きを2度できれば、均平や抑草に効果があったかもしれないが、私の地域では水放流日の前倒しの選択の余地はなかった。さらに田植え後、抑草のため、4日以内に米ぬかを反当たり8袋(15kg)散布した。これは元肥ともなっている。したがって、やや過剰な元肥となっている可能性がある。除草のための田押し車による中耕を行ったが草刈り機にアタッチメントをつけてモーター駆動の中耕を都合、2回行った。稲刈り時にはヒエが目立つほどあちらこちらで稲の屋根から突き出してきて、除草が不十分であったことを認識した。本来は縦横をそれぞれ2回、計4回中耕を行うべきであったが、結構、大変な労力である。しかし、抑草は結局、米ぬか、深水、中耕のみであり、その割には雑草が少ない。

穂肥については迷ったが結局、与えなかった。1反で7俵止まりであったのは穂肥のせいかもしれない。しかし、稈長が1mを超え、徒長気味であったのでタイミングを間違えると病気を呼び込むと思い、止めた。多収よりも無病を選択する。稲刈りをやっていて、ところどころ、稲株が白くなって枯れているのに気が付いた。いもち病らしい。もっと病気について知る必要がある。

稲刈りの時期は積算温度や水分率で判断すべきであるが道具がなく、結局、周囲の稲刈りより、1週間程度遅くなって稲刈りをした。出穂はマニュアルでは8月28日頃であるが、稲刈りまで標準で42日からすると10月10日頃であるが実際は16日におこなった。地域の水路の最期の放流が9月23日であり、この日以降に台風が2回近づき、雨があり、田が乾いて稲刈りができるのは10月7日~10日頃と10月15日~16日頃であった。手伝いや乾燥・籾摺りの予約に合わせて、運よく、稲刈りが16日にできた。

稲刈りを手刈りにして、稲架かけをして、干して、脱穀をするという方法も考えたが、稲架かけの竹竿の調達や脱穀機の調達が課題であり、中古のコンバインを修理して使うことにしたが、修理費は嵩んだが5年は使いたい。籾の乾燥と籾摺りを自前でやろうとすると残念ながら、収納する建屋がなく、外注することにした。玄米の外観品質も外注により、機械選別を行うことで保たれていると思う。

得られた玄米を早速、精米して食べてみたが、新米ということもあるだろうがとてもおいしい。完全無農薬でこれだけのお米が1年目から採れたのは大成功というべきであろう。天地の神、そして友人・親類・家族に感謝したい。

2020年10月17日
から Mat Grimm
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稲刈り本番

興奮したのか遠足前夜のようにぐっすりとは眠れなかった。朝、5時半には起床して東の空を見る。まだ、暗いが6時ころには朝焼けが見えた。朝食を済ませて、7時ころには鎌をもって田に出る。本日予定の稲田の四隅をコンバインが回転できるように2m×3.5mだけ稲を予め、刈っておく。現場でコンバインの通り道をシミュレーションすると四隅ではなく、二隅でよいことに気が付いた。田は長方形なのだが、西側は畦際まで稲を植えていないので、コンバインの回転スペースが確保されている。気温は18度Cとやや肌寒いので厚手の長袖を着て、作業を開始したが手刈りして畦に運んで稲を置いていく往復歩行も伴うので、すぐ汗が出る運動量となった。No.4の田の二隅を刈り終えて、着替えに一度もどる。

朝露が少し残っていたがそれでも稲田の外周は風通しもよいので9時ころに稲刈りを開始した。稲刈り操作経験者の義弟にまず手本を見せてもらった。2条または3条刈りができるコンバインであるが、進行方向の右側にスペースがない所では刈り取り部を右側に寄せて、仮残しの稲をクローラー(キャタピラ)で踏まないようにする。刈り取りは3本のフォークの間に稲を差し込んでその間に入った稲を刈り取り、挟んで脱穀部に送り込み、脱穀して、藁を短くカットして後ろに排出する。脱穀された籾は籾袋に貯められる。周回時に満杯になった籾袋を畔に寄って下す。こうして、No.4の田を10時半には刈り終え、No.5の田を11時45分頃には刈り終えた。両方で約1反(1000m2)の稲田面積である。坪36株の手植えであるので株数からざっと計算できる。手植えなのでまっすぐではないし、幅の長さは畦に沿って株数を変えてある。昼には刈り終え、軽トラに籾袋を積み込み、持ち帰り、昼食にすることにした。籾袋は25袋であった。それぞれの重量は軽量していない。午後から、予約しておいた近くの乾燥・籾摺りの委託業者に持ち込んで稲刈りは終了である。10年ぶりくらいのコンバインの使用であったが、事前の修理だけで本番当日でのトラブルは皆無であった。甥が当時、農機会社で働いていたので、メンテナンスがしっかりやっていたからもあるからかもしれない。コンバインのクローラの車軸や転輪に泥や植物のつまりをしっかり落として一旦収納した。脱穀部や刈り取り部、転送部のごみ落としはブロアーを借りて、後程、やることにした。

コンバインで稲刈り

2020年10月15日
から Mat Grimm
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秋ナス、ピーマンの収穫

ナス、ピーマンは8月の猛暑で樹勢が衰え、このまま終了かと思ったが、9月初旬からの台風や秋雨前線で土が湿ると勢いを取り戻し、再び、実をつけるようになった。畑も雑草が生い茂り、ナスやピーマンも黒マルチがあるにも関わらず、雑草に埋もれてその存在を忘れていた。そして、雑草刈りの時にたくさん実をつけていることに気がついた。だから、秋になっての本格的な最初で最後の収穫である。

秋ナスは夏に取り終わった頃、しっかりと剪定をしておいた。すなわち、実をとった枝の位置のすぐ上で切り飛ばし、3本か多くても4本立ちにしておく。こうすることで秋の雨で再び、勢いを取り戻すようだ。

2020年10月15日
から Mat Grimm
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予備稲刈り

今日は10月15日、すなわち稲刈りの前日である。明日の為にいろいろ準備してきた。10月3日に落水したが台風14号の接近で10月8日、9日に合わせて62㎜の降水量であった。それから、今日まで晴れか曇りの天候で田んぼは十分に乾いてきた。コンバインが沈まないであろう。

苗代跡も狭いが遅れて稲を植えていたが、ここにはコンバインが狭くて入らないので鎌を使って刈る。刈った稲は束ねて、物干しに稲架掛けする。来年の種を取るので、機械ではなく、手で脱穀する。朝から、鎌を研いで、6~8株を1束にしてプラスチック縄で束ねた。本来ならば、藁を使って束ねるのであるが、ストックがない。1m程度の長さで切って、縛る。ここから、3㎏程度の籾を来年の種もみに使う。

稲株は刈って2株を片手に持つが株の大きさが異なる。植え込みの周囲の株は平均に太く、2株では手に余るほどであるが、植え込みの内側は平均に細い株となり、場合によっては3株でも片手で持つことができる。やはり、日当たりや風通しなどが端の株にはたっぷりと供給される。苗代跡で遅く植えたため、分けつ不足となったこともあるだろうが、明日の本田の株と比較したい。

コンバインの準備はやれるだけやったと思うが、10年くらい使っていないので明日は何が起こるかわからない。籾袋を50袋準備し、20袋を装着した。田への入口の傾斜がきついので、少しでも緩和しようとシャベルで土を盛っている。土の硬さは長靴で歩いたが柔らかい所でも1-2㎝の沈み込みである。取説によるとコンバインの限界は6㎝とある。

明日は朝から忙しい。コンバインが田に入る時や四隅で方向転換できるように入口や四隅の稲をそれぞれ2m×3.5mくらい手刈りする。この稲は近くの地面に置いておき、コンバインが通る時に手で脱穀部に入れる。

2020年10月13日
から Mat Grimm
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落花生の収穫とゆで落花生

昨年は少ししか落花生が取れなくてゆで落花生をほんの少ししか楽しめなかったので、今年は30m長の畝を落花生に充てた。早くから、種をすこしづつ購入して30m畝分の種を購入していた。しかし、千葉の大粒の「おおまさり」が昨年の台風被害で発芽率が低いと種袋に書いてあった。その予想に違わず、落花生の発芽率は低く欠株が目立つ畝となった。前にも書いたが落花生の栽培の熟練者が近くに居て(Yさん)、追加苗を作る時に余分に作っていただくことができ、それを欠株の場所に植え、畝全体が満席となり、にぎやかになった。また、ときどき、アドバイスをもらいながら除草、土寄せや水やり、追肥など世話を怠らなかったので、今までにない出来となった。それでも、Yさんの落花生に比べると生育の勢いが劣っている。今年は猛暑で8月はカラカラに乾く時期がつづいたがその時にYさんは水路から時々水を引いてそれなりに水分を与えていたが私は言われるまで放置していた。落花生は乾燥に強いという認識であったから、特に何もしなかったので落花生の樹勢が弱くなってしまった。畝作りにあたり、元肥も施さなかった。本の情報では肥料が多いとうまくできないとあったので与えなかった。しかし、Yさんによれば、リン酸やカリウムなどは与える必要があり、窒素もないよりもあった方がよいという。少し遅かったが、追肥として化成肥料を播いたりした。

最初の収穫は9月の中旬ごろであったかと思う。ゆで落花生は完熟させる必要はない。むしろ、収穫が遅くなると樹を引き抜いたときに実が土の中に取れて残ってしまうので、早めがよいそうである。写真は3回目の収穫だと思うが3株分くらいの量である。実を取って、土を落として洗い、沸騰したお湯に塩を入れて味をつけ、20分ゆでて、さらに火を止めて、湯の温度で20分、蓋をして蒸してゆで落花生ができる。このゆで落花生は収穫した日にゆでることで得られるので一般には出回っていない。千葉に住んでいたときに産直でゆで落花生を売っていたが、千葉は落花生の産地であり、地元だけで手に入るものである。そして、それはとてもおいしいものである。私の地元、香川県高松市では産直でも落花生は出回っていない。作る人も少ないので、ゆで落花生を売っても、認知されるまで時間がかかるだろう。

2020年10月12日
から Mat Grimm
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そば、ニンジン、白菜、ダイコン、カブの成長

ソバは9月5日に種まきしたから、1ケ月で花が咲いている。成長が早く、70日で収穫する。ハクサイは1ケ月で大きくなったがまだ外葉が広がったままである。ダイコンはほぼ1ケ月で外観がダイコンらしくなってきた。カブは9月27日に種まきして、2週間で本葉1-2枚というところである。アブラナ科の野菜は虫対策として、ストチュウを4日毎には散布しているが、ハクサイなどは虫食いが目立つ。今年は防虫ネットなしで栽培するつもりである。

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