グリム農園&田舎暮らし

定年退職後の日々の日記です。

2021年1月20日
から Mat Grimm
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キンギョソウ、ストック、キンセンカの花壇移植

花の栽培は手の空いている時に種を播いたり、潅水したり世話している。ストックは9月15日に種まきし、10月2日にポットに移植し、11月30日に寒さ対策としてグリーンハウス内に苗を移動していたが、蕾が出ており、大寒の今日を過ぎれば花壇への移植には問題ないだろう。いっしょにキンギョソウ、キンセンカも花壇に移植した。キンギョソウは10月17日にセルに種まきし、11月7日にポットに移植していた。キンセンカは10月25日にポットに種まきしていた。手抜きの世話なので、水やりが遅れて枯れたり、逆に根腐れしたりして数は減っている。花壇は3つあるが、南向きで日当たりが良いが、事情で11月中旬まで使えなかった花壇に移植する。水仙の球根が残っているが昨年はアネモネやムスカリも植えていたが花壇の大きさを小さくしたときに土を減らしたので他には残ってなさそうである。水を忘れずにいれば、綺麗に咲くはずである。

2021年1月17日
から Mat Grimm
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さぬき花火浪漫

新型コロナ感染拡大で「さぬき花火浪漫」への参加を自粛された方からチケットをいただき、車で行ける距離にある地元の私達が参加させていただいた。夜7時から打ち上げなので、5時前に出て途中、うどんの名店で夕食をとり、6時頃、会場のまんのう公園に到着した。すでに入口は長い車列ができており、駐車場、入門チェックなどゆっくりと移動して見物席についた頃には10分前くらいになっていた。主催者から挨拶があり、昨年来、多くの花火大会が中止になった中で多くの困難を乗り越え開催に至ったこと、そして花火の技術を競うコンペがプログラムに含まれ花火師が全国から参加していることなど特別な花火大会であり、貴重な機会であることを知った。参加者は2,3千人であろうか。観覧席には十分な距離が取って椅子がしつらえてあり、配慮されている。駐車場は複数ある中で中央のみ使っており、その収容数からすると制限しているのであろう。参加者は若いカップルや家族連れが多い。すっかり陽が落ちているので全貌は見えないがイルミネーションで起伏のある広い「まんのう公園」がさすがに通路は屋外であるが密になっている。オープニングの花火は音楽に載せて勢いをつけるもので暗い夜空が瞬間に色が鮮やかに切り替わるすばらしさはプロジェクトマッピングや電子ディスプレイでは得られないものである。花火の競技では15社がそれぞれ、差別化しようと工夫の花火を打ち上げて、鑑賞者が優れた3社をスマホで選んで勝者を決めるものであるが、音楽がなく、数少ない花火での要素技術であり、エンターテインメントとしては弱い。ひまわりの花のような花火が普通であるがこの花を正面だけでなく、斜め横から見たり、角度をつけた花火や、いわゆる尺玉という大きな花火だが、高さ、大きさ、きらきら金粉が落ちてくる豪華さで素晴らしいものに投票したがどこが優勝したのか終了時点での発表はない。花火は米国に居た時、独立記念日に花火を上げるのだが、ニューオリンズのミシシッピ川の川岸でゆっくりと鑑賞したことがあるが、繰り広げられた花火は日本の花火と大差は感じられなかった。コロナ前であるし、観光客や多くの人がワインや食べ物を持って集まり、ワイワイしながら、夏の夕べを楽しむのでかなり環境が異なるが、今回の花火は広いと言っても観覧席を正面にして、地上から噴き出すような花火や左右から角度を持って斜めに走るものが音楽と一体となって動くのでエンターテインメントとして完成度の高いショーとなっていたと思う。スマホで撮影したが画面に収まりきれないのが残念である。広角レンズがあればそれが伝わるかもしれない。フィナーレの花火はふさわしい盛りあがりでさすがにこれまで見たこともない、速度、鮮やかさ、多色、豪華さ、広い視角、轟音であった。満足のできるものであった。帰りはさすがに寒いのでそうそうと車に戻り、帰路につこうとしたが駐車場を出るまでに30-40分はかかったと思う。一斉に出口を目指して車が移動するので割り込みもあり、無秩序であるのは残念な点であった。もちろん、誘導係がいたが全体を公平に誘導していなかった。一般道に出てしまえば、交通量は多くないので10時頃には帰宅できた。今日は朝方は曇ってときどき雨が降ったが、冬としては暖かい方で夕方には花火に支障もなく、適度に風もあり、切り替えにも適していたように思う。良い一日であった。ちなみに主催者のSMASH ACTIONから花火の模様はYTにアップするそうである。そちらの方が花火の全貌を見ることができると思う。

2021年1月9日
から Mat Grimm
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畔波板の修正

昨年の稲作で深水にしようとしても水位が波板の上部まで達して限界であった。畦波板を地面に対して垂直ではなく、斜めに設置したため、水を溜める際の高さが低くなってしまった。この修正を次の稲作までに行いたい。正月をゆっくりしていると1月も、はや1週間が過ぎてしまう。1月末から稲作のための緑肥の準備に入る。トラクタを入れることになるのでその前に終わらせておきたい。昨日から数年に一度という寒波が下って来ており、昼間でも最高気温が2度Cである。しかし、午前10時過ぎれば、陽がさす時もあり、防寒用に重ね着すれば案外、屋外作業は苦ではない。汗をかかないだけ、冬は肉体労働に適していると思う。No.5の水田の北側の畦波板は25mくらいの長さである。昨日(21年1月8日)、その畦の内側を波板に沿って掘り起こし、波板を動かせるまでに上部側の土を削っている。今日(21年1月9日)も寒いが幸い、晴れでその続きを行う。波板は四角形の田の低い側の二辺に設置してあり、二辺の角の部分は波板を辺に沿って設置するとき、立ってしまう。そして、角から離れるほど波板に角度の自由ができ、斜めに設置されている。だから、水位を上げられるようにするには角の部分のように波板を立てればよい。そこで角の部分から、波板に載っている土を削りながら、波板を立たせていく。そして立てた波板を固定するように土を寄せていく。寝かせている波板を立てると上縁は5㎝~10㎝くらい高くなる。

No.5の田の東側、No.4の田の二辺も同様に畦波板を立てて設置する。

2021年1月6日
から Mat Grimm
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煎り落花生と種とり

落花生の種取りで残ったものを煎り豆にしていただいた。市販のピーナッツと同じ外観、味を実感して落花生の本来の食べ方を実践することができた。落花生の栽培は20年5月4日に「おおまさり」(50ml)、「半立ち」(45ml)2袋を一畝に種まきし、発芽しなかった箇所に6月2日にいただいた24株を補植した。そして4か月余り後の9月20日から落花生の収穫を開始した。収穫した落花生はそれまですべて「ゆで落花生」として食していた。そして、全体の1/4位が残っていたが10月31日に次回の種として使うため、すべて掘り出して裏返して乾かしていた。雨に濡れるとかびる可能性があるのでハウス内に入れていたが、実際に落花生の実をもぎ取ったのは11月の22,23日である。バケツに一杯くらいとれた。しかし、単に積み上げてあったので下の方の株は乾燥せず、黴ているところもあり、種として不適なものも含まれている。殻付きの状態で外観として大きくて充実していそうなものを次回の種として選んだ。そして、残ったものを煎り豆にすることにした。まず、殻から実を取り出す。ペンチやハサミで殻を破り、実を取り出す。いくつもこなしていくと外観で良さそうなものが殻を取ると、かならずしも中身が充実していなくて縮んでいたり、小さいものもあることが判る。そこで種として取り置きした殻付きの落花生が開けてみると種として不適である場合も想定されることから、開封した実からも種を選ぶことにした。そして「おおまさり」と「半立ち」の二品種を区別なく実がふっくらと充実しているものを選んだ。25m畝を30㎝の株間とすると75個の種が必要となる。そこでやり直しも含めて150個くらいを取り置きした。そして、残りは煎り豆にする。煎り豆は上等でないフライパンを使い、直接火にかけ、落花生を炒るのであるが、水分が飛んでかじっても、粘りがなくなりカリっとなれば出来上がりである。ゆで落花生は「おおまさり」が大きくておいしいが、煎り落花生は「半立ち」の方が味が濃い気がする。次回は二畝くらい作っても良いかなと思う。

2021年1月3日
から Mat Grimm
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ソラマメの補足苗作り

20年11月3日に露地にマルチを張り、直接ソラマメ30個、サヤエンドウ20個をそれぞれ株間50㎝、30㎝で種まきした。そして、防鳥糸を1本、念の為、その上に張った。昨年はポット播きにして苗を作ってから露地に定植したが近所のソラマメ栽培を見ると直接、露地に種まきしており、鳥の被害もなさそうであった。そこで今回の種まきは露地に直接、行った。しかし、結果は裏目に出た。カラスが発芽したソラマメを掘り出し、それを食べるでもなくマルチの上に放置したのである。防鳥糸はマルチに植穴を開けた後に設けたので、必ずしも植穴は一直線上になかった。かなりの数の植穴が糸の線からすこし離れた位置になってしまった。カラスは十分、安全に嘴が届くことになり、種を掘り出されてしまった。芽を出し、掘り出された豆を見つけると急いで植穴に再度、埋め戻しておいたがそれで根付いたものも多い。しかし、30株の内、10株のみ生育し、20株の欠株ができている。追加で11月10日にポットにやり直しのソラマメとエンドウを種まきした。エンドウはほぼ100%発芽したが3週間経ってもソラマメは50%以下の発芽率であった。種として自家栽培のソラマメを使っているため、低発芽率の原因となっている可能性もある。あるいはこの時期は気温が日ごとに下がっており、ハウス内とは言え、低温が発芽率に影響している可能性もある。そこで12月6日に今度は16ポット追加種まきし、温床に入れてみる。さらに気温は下がっているが、昼間は土温度で20度を超えている。21年1月3日現在、7ポットで発芽している。露地に植えても寒いのでほとんど成長しないから、苗作りは遅くても春までに定植しておけば追いつくのではないかと思う。

11月3日のそら豆とエンドウの種まき

情報として、11月3日の種まきを記録しておく。ソラマメは自家栽培から採取した種で数はたくさんあるが外観はかなり貧相である。エンドウは自家栽培と残り種、そしてエンドウの欠株はもらい苗を植えてあり、品種は雑多である。それに応じて収穫時期も幅を持つことを期待している。また、畝作りとしては中央に鶏糞を1m当たり1kg程度、溝施肥をしている。昨年は2条植えであったが株が分けつして増え、過密になったので一条植えとしている。

2021年1月2日
から Mat Grimm
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長ネギの収穫

昨年、2月25日に種を播き、夏以降は成長に応じて土寄せを繰り返していたが、冬が来て鍋の季節になるとそろそろ長ネギを収穫したくなる。12月18日に1本、試し掘りしたがそれなりに太くなっていて早速、キムチ鍋をつくり、食べてみた。十分にネギとして苦味と甘みが味に寄与している。そのうち、産直にも長ネギを見かけるようになった。長ネギをつくっている近所の知人によれば今年は雨が少なく伸びなかったが水をやるとぐんぐんとこの時期でも成長したという。白い部分の長さはそれほど長くないし、最近雨が降っていたので、12月28日に最後の土寄せを行った。土を高く盛り上げるので土が多量に必要となる。簡単に増量するため、もみ殻を混ぜて嵩ましをおこなう。まだまだ、長ネギの季節はつづく。冬の間、楽しめる。

2020年12月29日
から Mat Grimm
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大寒、大雪対策

2020年12月30日から元日にかけて数年に一度の寒波が日本列島を覆い、各地で大雪となる見込みである。我が地域でも平地で10-20cm、山間地で30-40㎝の大雪となる予報である。そこでまだ畑に植えたままのダイコン、白菜、大豆の対策をとることにした。ダイコンは20本ほどを抜いて、地面に穴を掘り、埋めることで貯蔵することにした。昨年、地中貯蔵でダイコンはほとんど傷まずに貯蔵できたので、同じやり方を踏襲する。ハクサイは霜対策として、外葉を芯に被せて、回りをぐるぐると紐でしばると耐寒性が向上するらしい。そこで麻紐で外葉で包装するようにしばった。大豆はもっと早く収穫するべきであった。さやがはじけて大豆が飛び出してしまったものが多く見受けられる。急いで引き抜き、コンテナに入れてとりあえず、ハウス内に取り込んだ。大豆は実の充実をさせようと収穫を遅らせていたが、いつの間にかその時期を過ぎていた。反省点である。

2020年12月29日
から Mat Grimm
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地神さんの来歴

生まれ育った集落にある天満神社に地神さんと呼ぶ石塔があり、これまで春・秋に集落の農家が中心となって祭祀を行ってきた。天満神社は菅原道真を祀る本殿があり、地神さんは別の土地にあったものを移してきた経緯がある。天神さんは集落の全戸で祭祀を行ってきたが地神さんはその中の農家のグループが担ってきた。だが農家の数も減り、高齢化で運用がより難しくなってきた。そこで天神さんと地神さんをまとめて一本化し、集落全戸で当番制で運用することを改善案として私を含むシニアグループから提言している。そこで地神さんはどのような神様なのか、集落の非農家が祭祀を行う意味があるのかについて調べておくことにした。             
祭祀の詔をお願いしている鰹宇神社の宮司に地神さんについて、来歴を伺うと発祥は徳島で蜂須賀家に起源しているという。そして、五穀豊穣を祈願するもので、いわゆる地鎮祭を行う神様とはことなるという。ネットで調べるといろいろ載っているということを教えられた。確かに調べてみると地神塔は阿波の蜂須賀治昭の寛政元年の改革(1789年)で定めた地神祭執行に沿ったもの(参考文献)であり、これが阿波から讃岐へと波及したものと考えられる。この改革は背景として古来からの地域の自然信仰を統一して祭禮日を休むことで農民に休日を明確にし、祭礼を通して集落の結束を固め、生産性をあげるためらしい。しかし、阿波藩から隣の讃岐にも広まっていることから、石塔の造立が何か農民にとって信仰様式として強く訴えるものがあり、ブームとなって広まったのかもしれない。
地神さんは政策的に地神塔を作り、祭礼のルールを決めた経緯はあるが、ベースとして、その土地の神様、農の神様であり、産神として、その土地に生まれた人を一生見守りつづけるという信仰が基礎としてある。そうであれば、非農家であってもこの土地で生まれ、この土地に住む人であれば信仰対象とすることに何ら支障はない。天神さんが菅原道真を祀り、学問の神様として信仰するのと矛盾もない。

参考文献:平成28年1月 坪内 強【蜂須賀治昭の寛政改革と地神祭の特質】

2020年12月27日
から Mat Grimm
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ソバの脱穀と調整

ソバを11月17,18日に刈り取りし、庭に立て掛けて乾していたが、23日にグリーンハウス内に入れ、屋内で乾燥させていた。脱穀方法として、稲・小麦のコンバインの脱穀機能を使おうと考えていたがいろいろ調べると実のサイズが稲や小麦と比べて大きいので網の目に詰まってしまうことが判り、そのままではコンバインの米麦適用に支障を来す可能性もあり、諦めた。次の方法は足ふみ脱穀機を使うことであるが近隣の知人に聞いても持っている人は見つからない。結局、ソバの束を叩いて脱穀することを試みた。専用の叩く器具を使ってもそれほどうまく脱穀できない。ソバの品種が実離れしにくい品種であり、乾燥期間を長くしても自然に落下するということはない。だから、放置して実の収率が低下することはないが逆に言えば、脱穀しにくい品種でもある。そこで次に軽トラのタイヤでソバの束を上から何度か往復して分離するという方法を試した。これはそれなりに脱穀できた。しかし、ブルーシートでソバの束を覆い、その上から処理したのであるが、砂などが脱穀したソバに混じる可能性があった。食べ物であり、小さい砂粒が混じるとソバと分別することは難しい。すべての工程を異物が混入しないように注意して取り扱うべきというアドバイスを知人から受けた。最終的には手でしごいて脱穀することにした。石や金属などを安全に取り扱うための皮手袋を持っていたのでそれを装着して、しごいて脱穀した。ソバの束は110束くらいあったが15束くらいづつ脱穀し、1週間くらいで終えた。

脱穀したソバは茎や葉片と実が混じっており、これを風で分別する。電動の唐箕を借りて選別してみた(12月26日)。軽いものは遠くに飛ばされ、重いものが近くに落ちるのでこれを受けることで選別する。太い枝は重いので実と混じって近くに落ちる。2回くらい唐箕に通して風選し、第一段階の選別ソバを得る。次に目のサイズの大きいフルイでソバの実を通過させ、枝などの大きなものを取りのぞいて第2段階の選別ソバを得る。さらに次に砂粒などの小さくて重いものはソバが通過しない大きさの目のフルイで通過させ、除去する。こうして、ほとんどソバの実だけからなる第3段階の玄蕎麦を得る。収穫された玄蕎麦は21.4㎏程度であった。これを製粉すればソバ粉となるはずである。

2020年12月24日
から Mat Grimm
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環境農家

ここ一週間は年賀状の作成や小旅行などで忙しく、農事も休止していた。年賀状の宛先に応じて、コメントを書いていくのであるが最初は来年のやりたいことを思い浮かべてつづる。次第に自分のやりたいことは何かと自問自答しながら、コメントを書いていく。それが100枚近くなると、やりたいことが収斂し、明確になってくる。コメントも定まってくる。年賀状の効用としてはこのような漠然としたイメージを言葉で明確にする効果がありそうである。
「環境農家」は写真家の今森光彦氏がTVで話していた造語である。収穫を目標とするのではなく、環境保全を主眼においた農家だそうだ。私の目指す方向も同じではないかと考えている。親から譲り受けた田んぼを耕していて、子供の頃、しじみやタニシ、メダカ、ハヤなど小魚類がいっぱいいた小川はコンクリートで整備され、水路として安定して機能しているが生物はほとんどいなくなっている。水路には水草がそよぎ、植物で浄化された水でなく、淀んでコンクリートで熱せられた水である。今更、コンクリート水路を元にもどせないがまだ昔の土の水路が一部残っており、これを保全することは可能である。農薬を使わないで米や野菜を栽培する。化成肥料は直接的な影響はないと思うが微生物にとって自然界にない環境となるのでよく考えて使用する。
 減農薬を提唱した宇野豊氏が書いている「農本主義のすすめ」という本を読んた。資本主義が登場して「農」を中心とした社会が経済価値を最大化にする社会に向けて変貌する中で土地利用の考え方が変わり、効率や生産性を重視して、そこに住む生物や循環システムなどは無視された結果、地域や里山は開発され、あるいは放置され、多くの生物が環境を奪われ絶滅寸前となっている。私の子供の頃から、現在までの時代を振り返ってみると、この人間経済優先の歴史であり、私も疑問も持たず、経済発展に寄与すべく田舎から都会に移り、サラリーマン生活を謳歌してきたのである。そして気がついてみると生物環境保全や豊かな自然が犠牲になっている。欧州ではそれでも環境保護の考え方が共有され、自然資産として保護したり、生物にやさしい有機農業が盛んである。「サピエンス全史」を著したイスラエルの哲学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏が指摘する人類の未来をTVで聞いたが人類は科学技術が加速度的に発展する時代に来ており、AIや遺伝子操作などの生命技術を使って、そう遠くない将来に人類が自らを高度化して神にちかづくという。一方で人類は選択を間違う可能性もあるという。資本主義を乗り越え、地球を維持可能とする主義が取って代わらないと地球上に人類だけが繁栄することは難しいのではないかと思う。
 退職したシニアに何ができるのかと思うが、この方向で試行錯誤してみたいと考えています。実は虫や魚と同様に野鳥も好きで法律で禁止されていなければ、子供の頃のように「メジロ」などを飼って鳴き声を楽しみたいのである。生物の観察、水の調査などやることはたくさんある。自然に優しい環境農家を目指していきたいと思います。

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