グリム農園&田舎暮らし

定年退職後の日々の日記です。

2022年2月16日
から Mat Grimm
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春播き人参

  人参は発芽するまでが大変で毎回、思うようにいかない。好光性種子なので覆土は薄くするが、発芽までは乾燥しないようにする。種袋には発芽温度20~25℃とあり、トンネル内播種でも3月初めとなっている。しかし、2月も中旬になると、春の本格的な雨が降り出す。この雨を待つように2月12日に種を播いて、もみ殻燻炭を厚めに振りかける。そこに13日に21㎜の雨が降って水分を十分吸ったので、畝を古い透明ビニルで2重トンネルにして保温を図る。種は安い時無し五寸を8m2条に播いた。一代交配のペレットは発芽温度も15~25℃とやや低温でも発芽しそう。また、株間もペレットなので手で好きに調整できるが、発芽しなかったりするとショックがおおきい。秋に播いた人参は都合、3回種まきした。そして、大きな人参から小さなものまで時期をずらして収穫できているが、雨に合うと大きなものは縦に割れてしまった。人参は長く置くと良いことはない。今回も発芽しなかったら、やり直すつもりである。元肥はなしで、堆肥と過リン酸石灰のみ漉き込んである。うまく発芽すれば約1か月後に間引きとなる。(2月16日)

2022年2月8日
から Mat Grimm
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緑肥(キカラシ)の種まき

  今年で3回目の稲作となるが、緑肥として種がもっとも安いキカラシ(シロガラシ)を播いていた。昨年は種取りを行って量的には3㎏以上の種が取れたので、今年はこの種で緑肥を育てる。緑肥として菜の花の類は水田での雑草の抑制効果が高いことを実感している。除草剤は全く使用していないが、ヒエ以外にはほとんど生えないし、ヒエも稲刈り時期に伸びてきて、その数も少ない。
  苗代には緑肥を育てていないので、雑草に悩まされている。しかし、苗代跡の水田は水が漏れていて、深水を保つことが難しく、雑草が多いのは浅水のせいかもしれない。とはいえ、今年も緑肥を育てて、それを漉き込んで穏やかに効く肥料として与え、いわゆる「への字」曲線を描くようにコメ栽培を行う。
  昨年は2月12日にキカラシの種まきをし、5月16日に緑肥として漉き込んでいる。2月中旬に春の雨が降るので、これより遅れると田が湿ってトラクタ耕耘が難しくなるので、今年は晴れが続く1月後半に緑肥用の施肥を行い、トラクタで耕耘する。緑肥の栽培は「菜の花緑肥稲作」の赤木歳通氏を参考にしている。
  私の過去2回のキカラシ栽培ではとても1㎏/m2以上の緑肥は育たず、青刈りしてその重量を計測すると精々300g/m2程度であり、大きく育っていない。その理由はいろいろ考えられるが、一つは土地が痩せていること、一つは排水が悪く湿害の発生、もう一つは種まき後の土寄せや鎮圧不足による発芽率の低下である。
  昨年は水田とは別に種取用に別の場所にキカラシを植えたが、水田とは違って大きく育った。高畝にして、種を株間20~30cmの点播きにして足で鎮圧したが、発芽率は良く、株間も確保されているせいか、草丈も大きく育った。
  そこで、今年もロータリーのツメを内盛耕に付け替え、施肥後の耕耘を内盛耕で耕し、畝作りとなるように耕耘した。これでやや高畝となり、湿害を避けられるのではないか。また、種を播いた後にレーキで畝の表面を中央に土寄せし、足で畝を踏みながら作業を行うことで鎮圧を行った。
  施肥は10a当たり鶏糞300㎏なのでやや多めの14aで450㎏を散布した。種は14aで3.8㎏くらい散布した。種は十分あるのでかなり厚めに播いた。レーキによる土寄せは初めて行ったが全部で8時間くらい掛かった。体力的にきついので次回はトラクタで浅く耕耘することを試してみたい。道具を使いこなすには経験と技術が必要だ。トラクタによる耕耘は奥が深い。2月2,3日に鶏糞散布とトラクタ耕耘を行い、2月7,8日にキカラシ種まきと土寄せ・鎮圧を行った。

2022年1月30日
から Mat Grimm
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ジャガイモの植付

  ジャガイモの植付も3年目であり、特に新しいことはない。難しい点は圃場の選定である。私の圃場は9ヵ所にあり、その内7か所は低地にあり、排水しにくい。昨年、植え付けた圃場は同一圃場の2畝で2月に定植し、5月末に掘り出したが、1畝のイモが部分的に変色しており、腐食する可能性があり、売り物にならなかった。ジャガイモの畝を高くしていたが、春の雨で畝の両側の溝には水が溜まり、排水できないで長く滞留していた。2畝にはメークインと男爵を植えていたが、品種の違いか、わずかの地下水位の差か男爵の方が沁みの被害が多かった。一昨年と同じ圃場を使うことも考えたが、2-3年の輪作を推奨されており、違う圃場を選定した。そして、今年は排水に工夫をして、溝に溜まった水をサイフォンの原理で排水しようという目論見である。
  品種はメークインを主にして、28mの1畝分を新たな圃場に、男爵は10m1畝分を畑に、そして、秋ジャガの種イモとして昨秋収穫した中から出島、ニシユタカを10m1畝分を別の圃場に植える。1月29日にメークインを植え付けた。できるだけ、高畝にしたかったので、トラクタのロータリーのツメを内盛耕に配置して、過リン酸石灰を散布してから、微細に耕し、株間40㎝で1個50g以上のスライスしたイモを埋め、株間に硫安を1m当たり100gを埋め込む。最後に土を中央に寄せて、黒マルチを掛けて、土で固定する。ここまでを3時間くらいで行う。64個のスライスイモを埋め込んだ。
  昨年より、植付は数日早いが、雨が降るとトラクタ耕耘が遅れるので晴れがつづいているこのタイミングで植える。男爵、出島、ニシユタカの圃場は次に整備する。(1月30日)

2022年1月28日
から Mat Grimm
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エゴマ、バジル、赤シソの種取り

  赤シソやバジルはその葉をもぎ取って、サラダの香味にしたり、赤シソジュースや梅干しに使ったりしているが、最初は種を播いて苗を育てて収穫したが、次の年からはそのこぼれ種から意図しないで発芽したものを苗として定植したものである。しかし、それでは苗数が安定しない。そこで昨年(2021年)は種取り用に12月の遅くまで種が弾けて飛散するくらいまでに放置していた。さすがに完全に種が落ちてしまうと回収できないので慌てて、刈り取り、コメの紙袋に投げ込んでおいた。年が明けて、ガレージを整理していて、これを思い出し、よく似た外観で同じような種類と思われるエゴマ、バジル、赤シソをまとめて、種取を行った。
  やり方はキカラシやソバなどの脱穀を経験したので、難しくはない。まず、保護手袋をして、枯れ枝から実の入った殻をしごいて分離する。その時には殻から種が落ちることもあるので、シートか容器で種を受けるようにしておく。この殻と小枝やその破片を含む実の集まりを集めて、次にこれを手でよく揉んで細かく砕く。細かい種が殻から分離する。次に種が楽々通過する目の粗いふるいで大きな枝や殻を分離する。通過したものは種と細かいほこりや屑であり、次に箕に移して、手早く左右上下させ、風により、軽いものを飛ばす。これにより、ほぼ球状の種を選別することができる。重い砂などが混じるが、傾けて転がすと思いものや転がりにくいものが残るので分けることができる。箕という道具は手で粒の集団を動かすことで分散させることで選別できる。やっているとコツがわかってくる。この方法で次期栽培の種を取ることができた。エゴマについては、種そのものが食材として利用できることが判り、種としてだけでなく、エゴマという食材そのものを収穫できた。来季はもっとたくさんのエゴマを作りたいと思う。

2022年1月16日
から Mat Grimm
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冬季の土工:畦の成形

  冬季は土工作業に向いている。最高温度が10度を切るくらいでも、土をスコップで掬い、一輪車に載せて運ぶと身体が温まり、ちょうど良いくらいである。マラソンと同じで、暑い方が体力を消耗する。しかし、天候が悪くて暗い日や風の強い日には気が乗らない。今日で5日目くらいだろうか、水田の畦波板を除去し、その断面を台形にする成形が終わった。2年前に田の均平のために浅い所の土を掬って、両側に集めて畦に寄せていた。その為、必要以上に畦の幅が広くなっていたがその土を掬って、他の箇所の傾斜した畦に盛って台形に成形した。そして、密生して自生している彼岸花の集団からごっそりと株分けして、成形した畦に数十センチ間隔で1球ずつ植え付けた。約80mくらいの畦の長さになる。彼岸花の球根は土竜を寄せ付けないというので期待している。
  冬の田の土の中はカエルやみみずなどが冬眠しているが、スコップで掬っていると思いがけなくザリガニに出くわした。丸い穴の中にいたが、ほとんど水がないのに生きているのに驚いた。動きは鈍い。このままでは死んでしまうと思い、連れ帰って、温室の水たまりに放した。春まで生きているだろうか。ザリガニは外来種であり、日本古来種ではないので、自然にもどす必要はない。

2022年1月7日
から Mat Grimm
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金刀比羅宮へ初詣

  コロナが一時、落ち着いたこの時に娘家族が3年ぶりに里帰りし、彼らの希望で金刀比羅さんに初詣する。金刀比羅さんは娘家族にとって、初めてか、それに近い。距離的には車で1時間ほどの距離で、私たち夫婦は昨年、金刀比羅さんへの道の途中にある満濃公園まで花火鑑賞に出かけている。1月4日でピークは過ぎていると思うが参道の入り口は大勢の人で賑わっている。しかし、肩をぶつけながら参道を上り下りして、両側の店に立ち寄るのも一苦労した過去の混雑と比べると十分に接触を避けながら登ることができる。参道の両側に軒を連ねて店があり、土産物や食べ物を売っており、それを見ながら登るのが楽しい。昔と変わらないものもあるが、ケバブの店やアイスクリーム、和三盆のスポンジケーキなど現代的な夜店風の出店もあり、参道の入り口付近は新しく開発されたエリアのようで秋葉原や渋谷などで見かける風景と変わらない。若い人が食べ歩きしている。その中でうどんやその加工品が活況であるのはさぬきらしい。一人、お坊さんが経を唱えながら立ち尽くして、托鉢をしているので、参道であることにきづく。785段で本殿に着くが、その手前の133段はかなり傾斜のきつい階段でお年寄りや体力のない人には大変だろう。確か、昔は駕籠かきが居て、乗って参拝できたと思うが今回は見掛けなかった。上りでは店を品定めしておいて、帰りに寄ることにする。本殿では祈祷のため、多くの人が参殿していたが、会社やクラブのユニフォームを着た団体もちらほら見かける。本殿からさらに奥の社があるが、そこまで上ると1300段余りあり、今回も奥まで登ろうとは考えなかった。本殿の広場からさぬき平野、遠く瀬戸内海を一望できる。瀬戸大橋もかすかに見える。金刀比羅宮の本殿は車で来る途中、象頭山の中腹に見え、海抜2百mはあると思う。下りは足が進み、意外に早く着く。途中で目をつけておいた茶店で休憩し、甘酒を一杯、いただいた。ショウガが少し入っており、甘さとバランスが良い。急傾斜の階段の踊り場に設けられた茶店で辺りを眺めながらの一服は昔ながらの習わしではないかといただきながら、金刀比羅さんの古い歴史に思いを馳せた。懐かしいべっこう飴の試食や和三盆の小ケーキを購入して、約1時間半で下山し、ランチのうどん屋を探すために金刀比羅さん初詣を終え、帰路についた。(1月7日)

2021年12月31日
から Mat Grimm
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天神・地神の運用改定R3年4月

2021年12月31日
から Mat Grimm
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自治会会則R3改定

2021年12月30日
から Mat Grimm
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餅つきと餡もち

  今年はもち米を作って、58㎏の玄米が取れたので餅つきをする。精米はJAのコイン精米機で行うのだが、もち米に対応しているかどうか判然としない。しかし、精米の度合いを選択するボタンの中に「標準(もち)」とあり、いつもは「クリーン無洗米」を選ぶのであるが、標準を選択した。もち米は「クレナイモチ」という品種でこの地域では一般的な品種である。
  餅つき機はもっていないので、妹夫婦に借りて、前日から4升(1升は1.8L、重量で焼く1.5㎏)のもち米を洗って水に浸けておく。香川は餡入りモチが郷土の味であり、モチに入れる餡はあらかじめ、購入して丸めておく。餅つき作業はつき上がってから固くなるまでの時間に餡を入れて閉じて丸める。経験者である妹夫婦のアドバイスに従い、準備をおこなっている。餅つきはもち米を蒸して、臼に移して、杵でつくのが正道であるが、餅つき機では十分、水を吸わせて、水切りをしたコメを餅つき機に入れるだけで、蒸して、つくことができる。道具立てが少なくて済む。
鏡もちや餡なしの白餅、餡入りモチを合わせて2升、エビ入りとノリ入りの切り餅(のしもち)をそれぞれ1升を4回のサイクルで餅つきを行った(12月28日)。出来上がったモチを適度の大きさに切り分ける「餅とり器」を使ったが便利である。出来上がったモチは熱くて、素手で切り取っていくのは手を焼けどするほどの熱作業である。出来上がったモチを容器といっしょに持ちとり器に移し替え、ハンドルでスクリューを回してモチを出口に強力に押し出す。適当な大きさで出口に設けられたカッターで切り離す。これであれば、手で直接、熱いモチに触れることはない。ただし、モチを移し替える際に捏ねる羽根を取り除くことが必要であり、埋もれてしまうと取り出すのに熱作業となるが、要領が判れば、羽根の取り出しはそれほどの熱作業とならない。 餡いりもちは切り取 ったモチを広げて、餡を入れ、閉じて、丸めるのであるが、モチが冷えると固くなって、モチを切り取るのがむつか しくなる。だから、一人では無理で、2人以上が必要である。妹夫婦と4人で教えてもらいながら3時間弱で終えることができた。エビやノリなどは蒸しあがったモチ米をつく工程に入る際に、上から、投げ込むだけである。つく工程で均一に混ざっていく。
  いづれにしても、餅つきは共同作業で大勢でわいわい言いながら、つくのが楽しい。完全に機械化するとこの本来の楽しさがなくなってしまう。千葉に住んでいたころの自治会の最大のイベントは餅つき大会で、大勢が参加して、蒸す人、臼でモチをつく人、取り分ける人、雑煮を作る人、飲み物、のり、きなこ、餡、おろし大根などをパックにして、食べやすくする人などでその日は朝はやくから、自治会のほとんどの人が顔を出して、準備したり、食べに来たり、久しぶりの対面で話がはずみ、食べながら雑談し、交流する良い機会となり、盛り上がったものである。是非、今の自治会でもできればやりたいと考えている。(12月30日)

2021年12月28日
から Mat Grimm
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甘納豆との出会い

  郷里に戻って3年になるが、高校卒業後、50年近く離れていたので地元とは言え、余り詳しくはない。中学の頃の知人に案内され、日曜に開催される山間地域にある「東谷」の朝市に行った。そこは同じ高松市であるが、徳島と阿讃山脈で接する県境に近く、かなり山奥である。仏峠という峠を越え、谷になったところにある。その日曜市の出物は近隣のJAの産直と大きな違いはないが、驚くほど安いものもある。人気の高い産物にはオープン直後に殺到して売り切れてしまう。その帰り道にある甘納豆屋さんの存在を教えてもらい、気になって後日、ネットで場所を確認しながら、細い道の脇にある古い小屋を見つけた。恐らく農家の納屋であったものをそのまま、製造所兼販売所として転用したもので駐車場といっても2台がやっとのスペースしかない。山間の土地なので傾斜地であり、道と同じ高さの平地は幅が狭い。ネット情報では、昔ながらの製法でつくる甘納豆のみ販売しており、豆がとれる10月から売り切れるまでの期間限定の営業である。
  とても、店とは思えない外観であるが、道路に小さい甘納豆という看板と入り口に営業中という表示があるので探していく人には発見のヒントになる。入っていくと狭い場所で2-3人で作業しており、1畳もないスペースで袋入りの甘納豆が並べてある。まさに蚤の市のような簡素な店構えである。大小いろいろの豆の入ったミックスの甘納豆とイモ納豆の2袋を購入して、家にもどって食べたが、懐かしい昔の味を感じる。甘さは強いが、嫌みがなく、素朴である。たくさん食べるとその時はおいしいが、蓄積された甘さでしばらく食欲を削がれるので注意が必要である。おやつとして少しだけ、濃いめのお茶といっしょにいただくのがおいしく、一日の休憩の楽しみになる。甘納豆の製造方法はしらないが、奥の方の作業を見ると、豆に砂糖をまぶしているようで、細長い囲いのついたテーブルの中で豆の集団を左右に移動させている。相当な量の砂糖を使っていることは確かである。
  この店はその後も何度か、訪問し購入しては小分けして贈ったり、自分で食べたりしているが、村瀬食品といい、地元ではたいていのシニアの人は知っている店で、古くからあるらしい。規模を拡大しないところが永くつづいている理由かもしれない。(12月28日)

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